火と死者を象徴するサウィンの祭は、一年を通じて最も重く見ら
れている祭りだ。
三十一日には、一年の収穫を祝い、盛大なパーティーや祭りがあち
こちで催される。
ドルイドの幻想的なパレード、若者達が繰り出す仮面舞踏会、そ
の年のセクァナ――女神セクァナに扮する栄誉を担う美女――を決
めるコンテストと、十月に入ると、ターラでは次から次へと賑やか
な行事が催され、地方からの裕福な観光客がどんどん金子を落とし
て帰るのだ。
儀式に使われる牛の骨や火を灯す特別なかぼちゃのトーチ、三十一
日に食べられる干しぶどうのケーキ、子供に配るお菓子など、一連
の小道具が盛んにやり取りされるから、商人にとってもかきいれ時
だ。
月の後半には、新年の為のごちそうが早くも、市場にずらりと並ん
で彩りを添える。
私はその、豊かさを象徴するかのごとき華やかな光景を尻目に、
足早に職場に急いだ。
諸国の例に漏れずこの国も、都市部と辺境部の貧富の差が激しい。
辺境は貧しく人は食うだけで精一杯、だからこんな光景には一生お
目に掛かれない民がほとんどだ。
故郷から昨夜届いた知らせを思うと、王都の浮かれムードに迎合す
る気にはとてもなれなかった。
一連のばか騒ぎが全て消化され、十月三十一日の夜になると。
今度は一転して厳粛なムードが、国全体を支配する。
十月三十一日の夜には、あの世と現世との門が開き、悪しきもの、
例えばシー(妖精)が辺りを徘徊するのだと伝えられる。
この現代にそんな迷信を信じる者はいないけれど、伝承のままに、
神官は聖なる火を焚き、人々はその火を持ち帰り夜に備える。
古来より、聖なる火は悪い妖精から家を守るとされている。
それから、悪い精霊を驚かして追い払う為に、我々の方が怪物の扮
装をしていた儀式の名残が、仮面舞踏会や仮装だ。
まあ、要するに、サウィンの祭りとは。
来年も我が家に良い事がありますようにと庶民が行う、一種の年末
のゲンかつぎみたいな物だと思えばいい。
そして明けて十一月一日に新年を迎えると、そこから本格的な
冬が始まる。
聖なる火はかまどに移されて、冬の間家庭を暖めて守るのだ。
往来する旅人も減り、街道沿いであっても、辺境の森は危険な夜盗
がうろつく場所になる。
だから私はその前に、ターラを発たなくてはならない。
……何故なら。
「アギレラ! ちょっと寄って行かないか」
呼ぶ声に振り返ると、私と同じフィーリ(助手)勤務の同僚達だ
った。
彼は店頭の軽食スペースで、ワインとつまみを友に、昼下がりのく
つろぎタイムを楽しんでいたらしい。
「あら」
げっ、嫌な奴らに会っちまったわ、と私は胸中で唸った。
本音を巧妙に隠したにこやかな愛想笑いを浮かべて、道沿いのテー
ブルセットに陣取った酔っ払い集団に向けて、私は軽く会釈した。
「ごきげんよう、楽しそうね」
「やどり木会のメンバーで、今ちょうど、浮遊魔道の新しい展望に
ついて会議を開いていた所だ。原則的にはメンバーのみになるのだ
が、君になら参加の権利をあげてもいい」
「そうそう、我らが憧れの才女アギレラ姫だものな」
「是非、この実り有る場に参加して行ってくれたまえ」
鼻を赤らめた同僚達は、次々と私を誘う言葉を口にのぼせる。
なあーにがあげてもいいだ、金もらってもいらんわとは、あくまで
胸中の本音。
「あら、素敵ね。……でもごめんなさい、今から勤務なの」
あでやかに見えるように首を傾げてふわりと赤毛を揺らしながら、
私は上品に微笑んでお断りした。
(冗談じゃ無いわよ)
やどり木会とは良家の子弟のみが入会する事を許される、俗物の
ための、俗物による、俗物めいた若者の集まる俗的な会だ。
そこに混じって同じ空気を吸ったら、私まで頭が悪くなってしまう。
それに、浮遊魔道の新しい展望について話し合うのに、豪華なつ
まみも上等のワインも必要無いだろう。
これは会合の名を借りた職務のサボタージュ作戦であり、つまると
ころ、いいとこのボンボンの楽しい飲み会にしか過ぎない。
私も彼らも、身分としては同じ王立研究所の助手(フィーリ)だ、
でもそれはあくまで表面上の事で。
彼らのほとんどはトルクと呼ばれる、地位の高い人間だけが許され
る特別な首輪を身に着けている。
つまり彼らは貴族階級の人間で、適当に遊んでいてもいずれは出世
出来るから、こうして昼間から酒を飲んでいるのだ。
対して私は貴族とは名ばかりの辺境の貧乏領主の娘にしか過ぎな
い、彼らが私に敬意を示すのは、私が数少ない女性のフィーリだと
いう事実と、それが実力によるものだと言う事実に対してだ。
そこには半分、やっかみとからかいの心理がひそんでいるのを私は
知っている。
だから彼らの機嫌を損ねると後で面倒な事になる。
仕方なく、愛想笑いを浮かべて口を利いてやっていると言う訳だ。
「ああー、腰抜けエレンの所に行くんだ」
「全く良くやってるよ、君って人は」
「あのオカマ教授の所で何年も我慢しなくちゃならないとは」
「いやあ、彼にとってみたら、人生最大の幸運だろうけどね」
「全くだ、アギレラが気の毒で泣けてくる」
明らかな嘲りの色を浮かべて彼らが口々に私を労った。
揶揄の言葉は私に向けられたのでは無く、私の上司に対する物だ。
王立学院を優秀な成績で卒業して、そのまま王立研究所に就職し
た私は、いくつかのお誘いを受けた。
中には花形部署からの物も有ったけれど、その全部を蹴って入った
のが、エレンの所だった。
だから同窓の人間には、私が何かの弱みを握られているか、騙され
て入ったのだと誤解されているらしいけれど。
エレンの下で働くのを希望したのは、他でも無い私自身だ。
エレン本人が全く評判を気にしない性質なのと、いちいち説明す
るのも面倒になって来たのとで、私は沈黙しているけれど。
「あいつ、ちゃんと付いてるのかね」
「わはは怪しいな、本当は女なんじゃないか!?」
「朝から晩まで部屋にこもって下らない研究に現を抜かして」
「ごく潰しだな、恥さらしだ」
「愛だの恋だの占いだの、女子供の遊びに予算を出すとは。陛下は
何を考えておられるのか。その分を軍事に回したほうが余程税金を
有意義に使えると言うのに」
「同情だろう。彼は放り出されたら男娼になるしか無さそうだしな、
まこと陛下は慈悲深くてあらせられる!」
やどり木会の面々が、グラスを片手にどっと沸く。
むかっ!
(あんたら低脳どもに、彼の悪口を言われたく無いわよ。給料貰っ
てさぼってるあんたらの方が、税金泥棒でしょう)
ぴくりと眉が引きつるが、そこはぐっと堪える。
私まで不興を被ったら、自分自身も困るけれど、何より彼に迷惑が
かかると思うから。
「そろそろ時間なので、失礼するわ」
学院で八年、研究員になって二年、しめて作り笑い歴十年だから
手慣れたものだ。
私は特大の猫を被り、たおやかにしずしずと、ぼんくらボンボンの
お遊戯会に別れを告げた。
出来たら永遠に、と言いたい所だが、そうは行かないのが悲しい宮
仕えの定めだ。
彼らの職場と私の職場は同じ場所にあるから、嫌でも顔を合わせざ
るを得ないのだ。
豪奢な門をくぐると、正面に、大賢者ドルイドの大理石の像が威
圧的にそびえ立っている。
髭も髪も足の下まで滝の様に垂れ流した老人の、いかめしいその像
の前を通る時には、会釈が義務付けられている。
王族であっても、ここで一度乗り物を止めて、中でそうしなくては
ならないのだ
その背後、真正面に建てられているのが軍務省、出世頭の勤務す
る花形の役所だ。
ずらりと並ぶ省庁を歩いて抜けようと思ったら一時間はかかる。
だから研究員は、入り口のフロートに乗って奥に向かう。
浮遊魔道を利用したそれを扱えるのは特殊知識を持つ研究員だけだ
から、一般人の為の施設は入り口に集中しているのだ。
一時間の距離も、フロートならわずか数分だ。
円盤状の乗り物を降りると私は、迷いの無い足取りで歩き出した。
一番便利な場所に立っているのが、戦いの女神モリガンをシンボ
ルに掲げた軍事研究所。
隣接するのが、鍛冶の神ゴウシュをシンボルに掲げる武器開発研究
所だ。
当然ながら、優秀で才能溢れる私は、当初ここに入る気満々だった。
予算も一番回って来るし、出世に最も近い所と言われていたからだ。
その前を素通りして、私は、庭師の整えた美しい芝生の庭園を、
ひたすら足早に歩いた。
その隣の、その隣の、その又……以下略。
とにかく奥の奥の隅の隅の、そろそろ手入れさえも行き届かなくな
って禿げた土が露出する、裏寂れたあたりに。
私の勤務する「エレン教授の特別部」は有った。
今にも倒れそうな、学院の用具置き場でさえもこれよりはましだと
当初呆れた程の、超オンボロの掘っ立て小屋だ。
会うたびに繰り返されるお決まりの常套句をさらっと流して、私
は事務的に問いかけた。
私の上司は、古びた床に四足の獣のように這いつくばって、顔をご
しごし擦り付けていた。
髪が触れる程にぺったりと、彼は床とねんごろになっている。
「まるで獣みたいですよ、教授(ヴァテス)」
「それだよそれ!」
我が意を得たりと言いたげに、彼はバネ仕掛けの人形みたいにぴ
ょこんと跳ね上がって、その勢いのまま一気に立ち上がった。
「さすがは優秀な我が部の星、アギレラだ」
「……星と言っても、所員は私だけですが」
「では一つ星だね、いや、一番星か? うんうん、素晴らしい」
何が素晴らしいのか全くわからないが、とにかく彼は嬉しそうに、
満面の笑みを浮かべて手をすり合わせた。
「まさしく私はね、今、獣の気分を味わおうとしていた所なのだ」
「はあ、獣の気分」
「昨夜、獣は四足で過ごして頭に血が昇らないのかと気になりだし
たら、寝付けなくなってね。それからずっと考えていたのだけれど。
ようやく、獣と同じ姿勢を取ればわかるのではと劇的に閃いたわけ
さ」
「それはなんとも劇的ですね。で、どうでした」
あくまで淡々と問い返す私。
「どうなんだろう。ううーん、私は、案外平気だったんだけど。で
もやり出したら君が来て、すぐに立っちゃったからかもしれない。
ねえ、もう一回やってみた方がいい?」
「どうでしょう。ご随意になさって下さい」
昨日の研究は確か。
花が歌おうとするならどんな歌だろうか、だった。
その前は、右手と左手の間に愛は芽生えるのかについて。
ごく潰しという評判は、あながち間違いでは無い。
彼は二級ヴァテスとして雇われて国から高給と研究予算を貰い、ひ
なが一日この手の研究に、熱心に精を出しているのだ。
「でも、後回しにしようかな。だってアギレラが来ちゃったら、気
が散るだろう?」
また始まった、と私は密かに。
君が余りに美しいから、私は何も手につかなくなってしまうんだ、
と彼の日課を心の中で反芻する。
そのままに彼は澱みなく口にして、それから膝に手を乗せて体を屈
めて、じっと私を見つめた。
(愛しているよ、私の助手さん。今日も輝いてるね)
「愛しているよ、私の助手さん。……でも、今日は君の輝きが曇っ
ているみたいだ」
ありがとうございますと、いつも通り礼を述べて終わりにする筈
の所で、エレンは慣習を破った。
どきりとして私は、普段は目を合わせない様に俯いているのに、迂
闊にも彼を見上げてしまった。
きゃーとか、いやーとか、ひえーとか、最後にはうげええええと、
色気のカケラも無い声を心の中で火花のごとく散らしながら、私は
がっちりと固まった。
(し……しまった)
優美な面差しの彼が、ヘーゼルの二つの瞳に気遣わしげな色を宿
して、私を至近距離で覗き込んでいる。
卵形の顔に絶妙に配置された小作りなパーツは、一つ一つが華奢な
芸術品で、貴族的なエレンの雰囲気に欠かせないエッセンスになっ
ている。
そして大理石みたいなすべらかな肌は、美味しそうなミルク色で。
ふっくらとした唇は、それはそれは少女の様に綺麗なばら色をして
いるのだ。
絹糸みたいなヘーゼルの短髪をさらりと揺らして、彼は形の良い
眉を潜めた。
「どうした? 今日の君はとても悲しげで、見ていると私まで胸が
苦しくなってしまうよ」
「……いつも通りですよ」
「嘘おっしゃい。朝に夕に、君に焦がれている私の目を誤魔化すこ
となど、出来はしない」
気色悪い事を言うなと、他の男なら一刀両断にする所だけれど。
男娼と揶揄される程に、中性的で綺麗なエレンが口にすると、彼は
まるで愛を囁く旅の吟遊詩人のようなのだ。
(その顔で私を見ないでよっ、やめてよねっ)
蛇に睨まれたカエルとは、こういう事を言うのだ。
口はぱくぱく、心臓はバクバク、エレンの微笑みに魅せられて、私
は動けない。
いつのまにやら私は、じりじりと後ろに下がっていたらしい。
呼応してエレンが、距離を詰める。
出勤してすぐの、出会いがしらの出来事だったわけで。
私はだから、玄関に立っていたわけで。
二三歩後ろに下がると、背中が樫の木の頑丈な扉にぶつかって、私
は逃げ場を失った。
私の両脇にエレンが手をついて、横に逃げるのを防いだ。
「捕まえた」
エレンが得意げに、にっこりと口角を上げた。
(あなたくっつきすぎですからっ)
「さて」
「な、何も無いですよ、ヴァテスの気のせいです。昨夜はちょっと
夜更かしが過ぎたので、それで疲れているのです」
「そう? ……ならいいけど」
私の気のせいだったかなと、エレンはその体勢のまま首を傾げた。
「ご理解頂けたなら、そこをどいて頂けませんか」
「それは駄目」
柔らかく詠うように、しかしきっぱりと拒絶を見せて、エレンは
再び微笑んだ。
長身の私でも見上げる程にすらりと背の高いエレンは、額を扉の上
のふちにつけて、腕と彼自身とで、人工の籠を意図的に作っている。
これでは突き飛ばさないと逃げられないけれど、上司に逆らうなど、
国家公務員としてはもっての他だ。
「エレンと呼んでと、言ってるでしょう? 私と君の間でそんな呼
ばれ方は悲しくなるね」
「お断りします。ここは職場で、あなたは私の上司です。私の立場
で、ヴァテスでいらっしゃる方を名前で呼ぶなど失礼ですし」
何て他人行儀なんだと、エレンが悲しそうに首を振った。
(思いっきり他人です)
私は心の中で、激しく突っ込んだ。