HOMEノベル目次
backノベルTOPnext

おばけかぼちゃ 2

 風変わりで年齢不詳のエレンは、とてもそうは見えないけれど。
ヴァテスは上級研究員の中でも、才能に溢れた者だけが名乗ること
を許される、特別な称号だ。
ヴァテスになれる人間は、ごく一握りだ。
一生下級のフィーリのままで過ごす人間だって多い中で、彼は二級
ヴァテスの称号を与えられている。

 ちなみに蛇足になるけれど、ヴァテスは八級まである。
高位ヴァテスになれる人間などほとんど居ない。
更にその上のドルイドの称号を得られた人間は、ここ数百年の王国
の歴史には一人も居ない。
ドルイドの称号は一応存在はしているものの、永遠に空位だと決め
られているからだ。

 ドルイドと言えば大賢者グレンノールの事を指すと、子供でも知
っている。
銀枝宮の入り口に立っていた老人がグレンノールだ。

 伝説の魔道師、大賢者グレンノールは、現代の魔道の常識では考
えられない事に。
何の触媒も用いず、印も結ばずに体一つで。
空を飛び、四大精霊を操り、すべての元素の形を自由に変えられた
のだそうだ。
幾多の真名を知る者とも言われている彼は、その為神々の一部さえ
も従えていたと言う。

 まあ、古代の伝説の人物だから。
古代だけに誇大に語られているのだろう。
何故なら、そんな事が一介の人間に出来る筈がないからだ。
魔道とは、多くの人間が研究を重ねて体系だてて、初めてその姿を
明らかにする事が出来る、理性の学問なのだ。
神々は大昔に姿を消して、今や伝説となって久しい。
どうしたら人間と神とが同じ次元に居られるのだろうか、全くもっ
て有り得ない話だ。

 ドルイドグレンノールに関しては、歴史学者が研究を重ねる最も
重要な題材ではあるのだが、未だその真実は謎に包まれている。

 信憑性が高いと私が感じる説は。
大昔、カガクとか言う邪教がはびこって、魔道が存続の危機を迎え
た時に。
反カガク派を率いて戦った数人の英雄が一体化してグレンノールと
呼ばれていると言うものだ。

 ちなみにカガクとかいう物を提唱したニウトンと言う人物は、事
もあろうに、星ぼしを動かしているのは、目に見えない力だと言い
出したそうだ。
子供の頃に歴史学でそれを習った時には、私は失笑を漏らした。
見えない力で、どうやって実在する物を動かすと言うのだろうか。

 つまる所万物を動かす力は……





 私は、建設的、実用的、かつ理性的に、現在手がけている論文の
内容を頭の中に思い浮かべて、この動揺をどうにかして抑え込もう
と努力を重ねた。

 エレンが、長い白魚のような指に私の赤毛をくるりと絡めた。
そして宝物を扱うような厳粛な手つきで握り締めて、私の髪を、そ
っと唇に押し当てた。

「では、アギレラ。君の言葉を逆手に取ると。上司と部下以上の関
係であれば、君はもっと私に打ち解けてくれるという事だね」
「それは逆手とは申しません。どちらかというと、荒唐無稽とか、
滅茶苦茶とか、そう呼ぶのがふさわしいかと思われます」
「言うね。でも、恋とは常に、滅茶苦茶なものだしね」

 エレンが長い睫に縁取られた瞳を閉ざして、私は嵐に揉まれる哀
れな小鳥さ、と夢見るように。

(恋っていうか、あなたは濃いです!)

 エレンが顔を伏せたまま、いい香りがするねと呟いて、やけに色
めかしい上目遣いで私をちらんと。
どうしてくれよう、今日は少々危険な気がしてならない。

 ああ、今朝は念入りに髪をとかして香油で仕上げて良かった、と
不謹慎にほっとするのは乙女の最後の心。
でも私は、ぶすっとしたつまらない事務員だと思われたいのだ。

「君の赤毛は燃えたつように挑発的なのに、アギレラはまるで氷の
女神のようだね。私をからかって楽しんでいるのかい、悪い人?」
「それはあなたの方です。私はあなたの勤務中の暇つぶしだと、き
ちんと諒解しておりますからご安心を」
「どうして私が冗談を言っていると?」
「それをお聞きになりますか」

 初めて口を利いた時に、開口一番「一目惚れって信じる?」。
それから毎日、朝から晩までこの調子で口説かれ続ければ、誰だっ
て私と同じ事を思うだろう。

 これはどこか少年みたいな彼流の社交術であって、しっかり者の
部下に、甘えてじゃれついてるだけにしか過ぎないと、私は思って
いる。
私がどこまでも冷徹に一蹴するから、彼は私との少々暑苦しいコミ
ュニケーションを安心して楽しめるというわけだ。

「なるほど、社交辞令だと」

 ぼそりとエレン。
私はまた、どきりとして固まった。

 エレンは、人の感情にとても敏い所がある。
彼はとぼけた奇妙な言動の合間に、時折驚くほど鋭く、人の本音を
ずばりと言い当てる。
私達魔道の徒には、多少なりとも第六感的な素養がある。
何となく人の気持ちを感じるとか、予感の力が強いとか、原始の力
を失いつつ有る現代人だからその程度のレベルであるけれど。
しかし彼のそれは群を抜いていると、私は密かに評価している。

「通算七百六十二回目の告白だよ、私の愛しい赤毛さん? 言葉に
は力が宿り、繰り返されるならばそれは、誓いにも成り得る。なの
に私が本気じゃないと、君は思うのか」

(思います)

 密かに私。

「良く数えておいでですね。けれど、その手の言動は外ではお控え
くださいませ。我が部署の風紀が乱れていると、誤解されかねませ
んから」
「うん、わかった」

 素直に頷きながらエレンは、片手で私の髪を嬲り、残った手はし
っかりと腰にまわろうとしている。
言動不一致とはこの事だ、馴れ馴れしいったらありゃしない。

「……ヴァテス」
「エレン」

 ため息をついて、彼の行為をたしなめる私に、エレンがやんわり
と訂正を求める。

(危険! 危険!)

 警報が鳴る。

 彼が数えた所の通算七百六十二回の「じゃれ合い」で、ここまで
の事態に陥ったのは、私の記憶の限りわずか十一回。
うち十回はごく最近の出来事なので、じわじわと私が押し切られそ
うになっているのは、データからも明白な事実だ。

「困ります」

 エレンの唇が頬に触れて、それから額に触れる。
男性とはとても思えないなめらかなしっとりとしたそれが、肌の上
を滑って、私の額の上でくすくすと吐息を漏らすのがくすぐったい。

「可愛い人。林檎みたい」

(当たり前でしょう!)

 こう見えても、うら若き清らかな乙女なのですから。
密室で殿方に迫られて、キスをされそうになるような事態に陥った
経験は無いのだから、赤くもなるだろう。

 彼が髪を掴んでいるから、だから私は逃げられないのだ。

 ……それは言い訳かしら。

 だらだらと汗を掻きながら目線を彷徨わせると、ブラウスの襟の
間から平らな胸が覗いて、私は一層目のやり場に困る。

 いくら華奢でも、中性的でも、エレンはれっきとした男性だ。
ヘーゼルのさらさらの短髪に私より艶が有っても、少女みたいにば
ら色の頬をしていても。
人並みはずれた長身以外、男性と認識されそうな特徴が無く、ひょ
ろひょろの細身で、指など私よりもほっそりしていても。

 ……多分、全裸を見た事が無いけれど、その筈だ。

 やけに甘い香水を好んでも、反吐が出そうな恋の詩集を読んで感
激して涙ぐむ乙女男でも、つつくような偏食の小食でも。
枝毛が有ると大騒ぎするけれども、血を見ると黄色い声を上げてフ
ラフラよろける弱虫だけれども、虫も触れないけれども。

 ……えーと、多分、男性の筈だ(……推定では)

 とにかく。

 腐っても貧乏でも貴族階級の姫なのだから、私は、男性の胸の谷
間を覗くような、そんなはしたない教育を受けてはいないのだ。
かといってここで目を閉じたら、カモーンOKよ! と言わんばか
りだ、すぐさま餌食になってしまう。

 ここまで死守した乙女の唇を、私としては最後まで守り通したい。
ここに勤務するのも、あとわずかなのだから。

 ……もう、あと少ししか、ここには居られないのだから。

 ちくりと、刺されるような痛み。
私が退職願いを出した事は、まもなくエレンの耳にも入るだろう。
少しは寂しいと、思ってくれるだろうか。

 などと感傷に浸っている場合では無かった。

(それはっ、それはっ)

 いやー、やーめーてー! と心の中で絶叫する。
後もうちょっとで、エレンの唇が、私の。

 手の平を間に滑り込ませて、私は危うい所で難を逃れる。
もがっ、とエレンが苦しいのか、私の手の下でくぐもった声を上げ
た。

「これ以上はお戯れが過ぎますよ」

 軽く睨んで言うとエレンが手の下で、本気だってば、と。
そしてエレンは私の手をぎゅっと握って横にどけて。

「君に優しく叱られるのも、たまらなくそそるんだよね」

 と、とんでも無い事をのたまいながらにっこりと微笑んだ。

(まてまて、まてーっ!)

 何て勘違いの激しい奴。
一体どこが優しく叱ってるように見えるのか。
本音はどうあれ、私は誰が見ても本気で嫌がってる様にしか見えな
いだろう。
それがわからないのだろうか、この人は。

「ヴァ、ヴァテ」
「エレン」
「ではエレン。ほんとに、やめて」
「恥らう顔も可愛いなあー」

(嫌がってるんだよっ)

 張り倒すわけにもいかないしどうしよう、と私がおろおろしてい
る間に、エレンの鼻が私の鼻にくっつきそうな程近づいて。

(ああー、もう、困る)

 プレッシャーに耐えられず、私はぎゅっと目を閉じた。
ふわりと、エレンの息が、私の唇にかかる。

 あと、少し……。


ページトップ
backノベルTOPnext
HOMEノベル目次