HOMEノベル目次
backノベルTOPnext

「あ。いま、魔女が横切った?」 3

 ぽーんと、蟹が引き剥がされて空を飛び、円卓の下に姿を消した。
そして伯爵は、発言を終えて満足そうに着席。

 ……ああ、何事も無くて良かった。

 ほっと息を吐いて、私はズキズキと痛むこめかみをそっと抑えつ
つ着席した。

 こんな所で騒ぎをおこしたらうちの部はどうなるのだ。

 エレンが不服そうにちぇーっと言うのをじろっとにらみつけて、
私は後で、恐らく伯爵のお尻の下でご臨終しているだろう蟹を、さ
りげなく拾って帰る事にする。





 このっ、このっ、お子様がっ。
やっていい事と悪い事の区別もつかないのだろうか。

 ……本当に、このダメ上司を置いて行くのが、心配でならない。





 鏡の前で、しばらく自分の顔を角度を変えて眺めてから、私はや
はり、髪をふわりと下ろすことに決めた。

 普段はひっつめたり、三つ編みにしたり、それをお団子にしたり、
気分で変えている。
時間が無いときはそのままで行ったりもするけれど、なるべく動き
易い様に心がけている。

 今日は、エイドリアンの付き合いで、アップルガース家のパーテ
ィーにお呼ばれしているのだ。
私一人なら、制服は究極の礼服であるとばかりに手抜きをするが、
エスコート役のエイドリアンに恥をかかせるわけには行かない。

 エイドリアンから届いた夜会服を身に着けて、私はくるくるの癖
毛をざっとならして、母から譲り受けたネックレスで仕上げた。
さすがにエイドリンは考えてくれていて、私が嫌がりそうなデザイ
ンが避けて、華美すぎない、露出の少ない物を寄越して来てくれた
のでありがたく頂いておくことにする。

(それにしても、一体どこのどなたでしょうね)

 じろじろと、鏡の中の着飾った自分をぶしつけに見回す。
それから目線を落として、ああでも、手を見られたら呆れられるか
ら、手袋をした方がいいかもしれないと苦笑する。

 客観的に見て、二目と見られないブサイクだとは思わない。
お母様は若い頃村で評判の美人だった、そして父に見初められた。
そのお母様にそっくりだと言われているのだから、私の素材は悪く
は無いだろうと思うが。
いかんせん、日常のお手入れが足りなさ過ぎるのだ。
そして美とはいかに手を掛けるか、その一点に尽きると思う。

 市政の女性が強くなりつつあるこの現代でも、貴族の姫君とは、
館の奥で刺繍でもしている生き物である。
学も必要無いし意見を言うための口も要らない、極端な話、足だっ
て必要無いのだ。

 だから普通の姫君には、私のようなそばかすは無いだろう。
彼女達は日光に当たらないのだから。
そして、針より重い物を持たない彼女達の手は、まさしく白魚のよ
うで、私みたいにガサガサに荒れてはいないのだ。

 男女に開かれた王国とかいう突発的な、反対も多かった政策に乗
って、私は十二の年に王立学院に潜り込んだ。
そして数少ない女子生徒として八年を過ごして後、優秀な成績で、
研究所に就職した。
ちなみに、お飾り的に入学した同級生達は、さっさと永久就職とや
らに就いて、今では子持ちのお母さんだ。
それが、貴族の女性の当然の道だからだ。

 私はそれに逆らうつもりは毛頭無い。
自分を高く売れるギリギリの年齢まで粘って、後は、実家に帰って
適当な婿養子を取る予定だ。
相手は何でも構わない、あえて言うなら、私に口出ししないオツム
の弱い、早死にしそうなおじさんが望ましい。
子孫を残せて、形だけそこに居てくれたらヒグマでも構わないのだ。

 そんなどうでもいい相手にくれてやるのであれば、自分を磨く必
要は無い、以上。
それが私の出した、合理的な結論なのだ。

 私が、エレンを胡散臭いと思うのは。

 その私を見て、どうして美しいと言えるのかと言う点だ。
フェミニストの彼一流のリップサービスだという結論は簡単にはじ
き出される、したがって。
七百……何回だか失念したけれど、多数の甘ったるい愛の言葉も、
同じくリップサービスだと言うのも明らかだ。
ご配慮どうもありがとうである。

 そもそも美と言うのは相対的な観念であり。
あれだけ良く出来た自分を鏡で毎日見ておきながら、私を見て同じ
感想を抱く筈が無いのだ。

 コンプレックスは無い、自分で納得づくでやっている事だし。
ただ、浮かれて自分を見失う羽目にならないように、戒めはきちん
としておかねばと、思う次第だ。

(さてと)

 そろそろエイドリアンが迎えに来る頃だろうか。





「ちょっと。カオがハゲしくキョーアクなのですけど」
「うわっ、ホント。コワいわねーオトコのシットワ」
「五月蝿いよ」

 じろっと睨むと、二人がびくっと怯える真似で寄り添った。
けれど背中を向けるとすぐに、おしゃべりな彼らはひそひそと、陰
口を叩きだした。

「ねえねえ、ブラックちゃん。アギレラちゃんったら、キヤイハイ
ってるわねえー」
「ほんとね、まあカワイいわ、イイじゃなーい? ……ザンネンな
のはね、レインボーちゃん」
「ええ、エえ、エスコートがね、ザンネンね」

 小声で話しているつもりだろうが、丸聞こえ。

「しっ! それをユうとマスターがオちコむからユっちゃダメ」
「すっごいカオしてるものネっ。あれミたら、あノコもハダシでニ
ゲだすんジャなーい」
「マスターったら、お木のどくでナミダガ」

 ぼそっと呪言を唱えると、後ろでミャウッ、クエーッと生き物の
苦悶に満ちた叫び声が響いて、それきり静かになった。

(八つ当たり)
(虚勢)
(哀)
(横暴)
(行動)
(推奨)
(傍観)
(無意味)

 今度は頭の中に二人が交わすカタコトの単語。
たまりかねて肩越しにぱちんと指を鳴らすと、猫と鸚鵡の姿がかき
消えて、あたりは静かになった。

 かしましい使い魔ども。
言われなくたって、わかってる。

(ああー、もう。なーんて可愛いんだっ)

 ムカムカしながら彼は、王都で最も背の高い建造物と言われてい
る時計台の、長い分針に寄りかかって。
それからおっといけない、時間がずれてしまうと慌てて体を起した。





 来て良かったと、私は心から思った。
いくらエイドリアンに頼まれたからとは言っても、正直、気が進ま
なかったのだ。
華やかな場は得意では無いし、窮屈な服装だと食事も出来やしない。

 エイドリアンは、未婚だし、恋人も居ない。
だからこの手の女性同伴の場は避けていたけれど、今日は父親に出
席するようにときつく言われて困っていたのだそうだ。
そして父親は、相手が居ない事を理由に、彼の心に決めた女性を
パートナーとして紹介するつもりだったそうだ。

 つまり、体のいい見合いだ。

 私なら同僚だし、浮いた噂が立つことも無さそうだからと、エイ
ドリアンにパートナーになってくれとお願いされたのだ。

 内気とは言っても、彼は伯爵令息。
あちこちでお呼びがかかって、私は一人になってしまった。
そうなると何かと煩わしいので、私はごっそりとご馳走を盗んで、
パウダールームに篭って一人の宴会を決め込んでいたわけだ。

(……ちょっとレディにはふさわしく無いけどね)

 ケーキを素手で掴んでかぶりつき、私は外の会話に耳を澄ませた。

「ねえねえ、伯爵に、今日こそ?」
「うふ、そうよ。遂にね」
「良かったじゃなあーい。でも、反故にしないかしら」
「だからね、念書を取るの。それを後で受け取る約束をしてるって
わけ」
「かっしこーい」

 パウダールームの洗面台の前で、きゃあきゃあと女性達。。
盗み聞きじゃなくてよ、あちらが勝手に入って来て、誰も居ないと
思い込んでお喋りしているのだから。

 壁に耳ありドアに目ありだ。
重要な話を、良くもこんな場所でするものだ、軽率さに呆れる。

「今日は、青薔薇の間を借りているのよ。だからね、そこで」
「へえー、後でね」

 女性達が、声を上げながらパウダールームを出て行く声。

(いーい事聞いちゃったー)

 うふふふふ、と私はほくそ笑んで、そっとドアから忍んで出た。





 そもそも、あのオヤジ……いえ、おじ様は、最初から気に入らな
かったのだ。
顔つきと言い、態度と言い、人を小馬鹿にして尊大で。
その癖すけべったらしくて若い子が大好きで、昔から、手を握られ
たら吐き気がしたものだ。

(いえいえいえ、これは私怨では無くてよ)

 私は自分に言い聞かせて、裏庭の藪を掻き分けて進んだ。

 彼の主張が予算を減らせ程度であれば、私も仕方が無いと思った
だろう。
しかし伯爵は最後に、陛下の御心を問いただし、かつ、エレン特別
部の存続を国会で問うとのたまったのだ。
無能者を飼う余裕は今の我が国には無い、エレンは追い出すべきだ
とまで言いくさり、もとい、おっしゃったのだ。

 誰もが陛下に遠慮して言わなかった本当の事、ごほん。
忌憚の無い意見だろうけれど、無能者は言いすぎだろう。
確かにそうかもしれな、ごほん。
誤解を受ける行動を取るエレンもいけないけれど。

 彼は、自分と同じ階級にエレンが居るのが気に入らないのだ。
国王の覚えが目出度いからだとか、王家の落とし胤だとか噂される
エレンが自分と同期に居たら、後々、出世の邪魔になると思ってい
るのだろう。
エレンだけでなく、ライバルの足を引っ張る機会があれば、誰だっ
て喜んで迎合するのがこの世界だ。

 国会は、新年の休みの後から開会される。
来年の出兵を控えて、陛下は事を荒立てるのを恐れるかもしれない。
諸侯の機嫌を取るために、それを呑むかもしれない。

 そうなったら。

(あんなひよひよの怠け者は、すぐに飢え死にしちゃうわよ!)

 その時から私の中の「一度やっとく奴リスト」の筆頭に、アップ
ルガース伯爵は載せられていた。
千載一遇の機会をこの場で得たのは、神の采配に違いない。

(うふふふふ、見てらっしゃい)

 彼を完全に失脚させようとまでは思わない。
それはさすがに気の毒だ。
ただ彼が来年の国会に出られなくなれば、それで私の気も晴れる、
じゃなくて、安心する。

 誰だって、騒動の音頭を取るのは嫌なものだ。
首謀格の伯爵がスキャンダルで謹慎する事になれば、関わるのを恐
れて、この問題は立ち消えになるだろう。
そうしたら来年は忙しくなるから、しばらくうちの部は安泰だ。

(全く、手がかかる人だわよねっ)

 日々こうやってこっそりとフォローする羽目になるのだ、残業手
当を頂きたい所だ。

 クロークに忍び込んで拝借した長いローブを手に、私は青薔薇の
間を目指して進軍を再開した。


ページトップ
backノベルTOPnext
HOME
ノベルトップ