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「あ。いま、魔女が横切った?」 4

 何をやっているのだか、あの子は。

 人は点、建物さえも豆粒。
グランパと呼ばれる、ターラの市民に親しまれるのっぽの時計台か
らは、すべてがミニチュアみたいに見える。

 ぽっかりと蒼い夜空に突き刺さった時計台の後ろには、くっきり
と細い三日月。
ここまで人の子は来られるはずもなく。
だから、心行くまで夜空をのんびりと眺められるのだ。

 楽しい日課のお散歩タイムだけれど、今日はくつろいでばかりも
居られなさそうだ。

 時計台のへりに足を組んで腰掛けて彼は、遠見鏡で覗き見としゃ
れこんでいた。

「まさか、切るつもりでは」

 彼が、聞く者も居ない場所で独り言を漏らす。

 まん丸い視界の中の彼女は、年若いさんざしの木に癖の有る赤毛
を絡ませて往生している。
枯れかけて、あちこち葉を落としたさんざしの木は、トゲに変化し
た枝や細かい分岐のせいで、引っかかり易い。
丁寧に対応すれば事なきを得たのだろうが、短気を起してバタバタ
暴れたせいで、一層絡まり具合が悪化したみたいだ。

 口汚く罵った――と、思われる、余り聞きたく無いけれど――後
に彼女は、懐から女性用の小振りの短刀を取り出して、鞘を一気に
引き抜いた。
髪の根本に当てて、ぎらりと緑の瞳に彼女は危険な光を浮かべた。
どうやらあれで、ばっさりと行くつもりみたいだ。

「なんとも、男らしい……」

 ……し、仕方が無い、よねえ……。

 気持ちはとてもありがたいけど、手のかかるお嬢さんだ。

 はー、やれやれ、はー、やれやれ、残業手当が欲しいよ。





 今日はついてるわ、いけるわよ。

 私はそう、自分を奮い立たせた。

 普段やりつけないちゃらちゃらした髪型のせいで間合いを取りは
ぐってしまい、髪が木に絡まったと思ったのだけれど。
面倒なので切ってしまおうと思ったら、いきなり解放されたのだ。

 私としては、腰まで伸ばしたこの毛が普段から鬱陶しいと思って
いたので、切ってしまうのはやぶさかでは無かったのだけれど。
証拠を残すわけには行かないので、残骸の処遇に困る所だった。
埋めてそれを犬が掘り起こしでもしたら、すわ殺人事件だ。
心臓の弱いご婦人なら、その場で倒れてしまわれるかもしれない。

(枝が、自発的に引っ込んだように見えたけれど……?)

 確かに、一斉にシュルシュルと動いた様に見えた、けれど。

 気のせいだわね、植物は動かないだなんて、子供でも知っている
わよ。

 私はあっさりと納得して、青薔薇の間の窓の下から、ぴょこんと
中を覗いた。
正確には、木に登って、枝を跨いでじっと時を待っていたのだ。

 伯爵が来て、例の女性に念書を渡して、それから二人で出て行っ
たのはつい先刻だ。
音を聞く限り、どうやら引き出しに入れた模様。

(無用心ね、くすくす。二階だって安心は出来なくてよ)

 私は伸び上がって窓を揺らして、鍵が掛かっているのを確認した。
予想通りだ、でも、私には秘策があった。

 じーっと集中して私は、ガラスの向こうに見えた鍵の形状を思い
浮かべた。

 かちりと音がして、鍵が開く。

(さてと)

 とんとんとんと、何度か枝の上で勢いを付けて、私はへりに手を
かけて一気に飛び上がった。





 蛇足だけれど。

 私が王国の数少ない女の魔道士になれたのは、この力のお陰だ。
念動力と呼ぶほどでも無い、ささやかな物だ。
目に焼き付けた物を、ちょっとだけ動かせる……時も、運が良けれ
ばあるという、ただそれだけだけれど。

 年々、魔道力を持つ人間は減っている。
だから王国では、例え小さな力でも、特別な素養がある人間を珍重
する。
でなければいくら私が優秀でも、貴族でも、道は開けなかった筈だ。

 本当にちょっとだけしか動かせないし、一度やれば体のエネル
ギーみたいな物が尽きるのか、しばらくは出来ない。
そして何日も疲労感を覚えて頭痛に悩まされる羽目になる。
だから、はっきり言って何の役にも立たない。
ベッドに転がっていて鼻を噛みたいと思ってもティッシュ一つ取れ
ないのだ、その程度の用事で頭痛に悩まされるのは困るだろう。

 こうしてこそ泥の真似事をする時には便利らしいと思いつつ。

(私って、これでいいのかしらっ)

 ……嫁入り前の娘としては、余りにもはしたないでは無いか。





 引き出しを探ると、あった。

 例の念書だ、ご丁寧に紋章入りでサインまで。

 これをどうするか、私はもう決めていた。
伯爵の奥方、つまり、エイドリアンのお母様は。
上流婦人の例に漏れず、ボランティアをしたり、女性の権利を守っ
たりする福祉団体に入っている。
ちなみにそこが提唱して、平たく言えばぎゃーぎゃー主張したため
に、男女に開かれたナントカと言う政策が取られて私は学院に入学
出来たのだ。
女性のその手の団体には陛下も弱いのだ、王妃様ご自身が熱心に運
営に参加しておいでなのだから。

 第二婦人でもいいよ、もしかしたら? と、大雑把に訳すとそう
曖昧に記されたこの念書。

(若い愛人にせがまれて、冗談で書いたんだろうけどばかよねえ)

 この国では、一夫多妻制は取られていないのだ。
愛人が居ても、非公式の存在である内は見ぬふりが出来る。
しかしここまで明確に書かれていれば、十分な証拠になる。
伯爵は閨の中の戯れだと思って気軽に与えたのだろう、まさか、こ
れを盗み出す人間が居るとは思って無いだろう。

 これが女性団体の目に入れば、きっと彼女達は、すわ仲間の危機
と、手に手を取って陛下の下にはせ参じるだろう。
何しろ普段から、夫の不実に泣かされているのは有名な話だ、きっ
と女性の敵を見逃さないと思うのだ。

 陛下の信条は清廉潔白ではあーりませんかっ! とぎゃーぎゃー
と、抗議をするに違いない。
そしてきっと陛下は、おば様たちの黄色い声と圧力に負けて。
しかし余りにも低次元すぎるために処遇に困って。
お茶を濁すためにちょっとしたペナルティと、軽い謹慎を申し渡す
だろうと、私は読んでいた。

(いっひっひっ)

 お灸を据えるなら、シモ関係のスキャンダルに限る。
スケベ親父も少しは懲りるだろう、今後はパンツの紐でも閉めてお
くがいいのだっ。

(……ごほん)

 いやだわ、私ったらお下品な。
エレンの影響かしら。

 我が部の風紀を一層引き締めねばなるまいと私は心に決めて、そ
れから窓に戻ろうとした。

 そのときだ。

「誰か来てくれ!」

 念書をじっくりと検分していたせいで、物音を聞き逃したらしい。
伯爵と愛人が、目を真ん丸にして、開いた扉の向こうに立っていた。

(しまったーっ)

 開いたのに閉まったとは、これいかに。
……と、下らない冗談を言っている場合では無い。

 窓、ドア、ライティングデスク。
配置は一列に、こうなっている。
彼らを抜けて窓に向かわなければ、逃げられない。
そこから逃げ切れるかどうかも難しい。

 アギレラ絶対絶命。
私は、服の上から被ったローブの襟を掻き寄せて、なんとか顔を見
られる事態だけは防いだ。





 ばたばたと、足音が聞こえて。
まごまごしている間に、人がドアの向こうに集まって来た。

 追い詰められて立ち尽くしたままの私は、中にエイドリアンの姿
を認めて、ごめんねと密かに謝っておいた。

 エイドリアンの連れの私がこんな不祥事をしでかしたら、彼の立
場だって悪くなる。
ついでにエイドリアンにもスッキリして頂こうと思ったけれど、そ
れどころかますます彼は行き詰まってしまい、もしかしたら禿げて
しまうかもしれない。

「貴族の館に進入するとは」
「不遜である」
「顔を見せろ!」

(やなこった!)

 と、口に出して答えるわけにも行かず。
私は無言でじりじりと後ずさって、拒絶を体で示した。

 相手が女一人と見て、武器を手に男性が数人にじり寄って来る。
うち一人が手を伸ばして、私のローブに手をかけようとした。

(顔を見られたらお仕舞いよ……!)

 私の輝かしい未来よ、さようなら。

 ぎゅっと目をつむろうとしたその瞬間。

 ――ぴゅんっ。

 目の前を、何かが横切った。

 鳥くらいの大きさに思えるそれは素早く天井の手前で旋回して、
あっと言う間に戻って来て、私と男性の間に、目にも留まらぬ速さ
で割り込んだ。

(あ)

 嘘でしょう、と私は密かに。
黒いカラスに見えるその小さな物体は、頭が尖っていて、棒状の物
に跨っている。
あれはおもちゃだろうか、それにしても、あれはどう見ても。

「あ、いま」

(……やっぱり!)

「魔女が横切った!」

 エイドリアンが指差して絶叫した。

「魔女だ! 魔女だぞ!」

 エイドリアンの叫びに、ぎょっとした顔で一同が注目する。
魔女と言う言葉は知ってはいても、実物は見た事が無いだろう。
勿論、私を含めてだ。
あの世との門が開くと伝えられるこの時期に、邪悪の象徴の魔女が
居ると言われれば。
多少の知識がある人間ならば、薄ら寒い気持ちになるだろう。

 彼らは一瞬、動きを止めた。

 その機会を、私は見逃さなかった。
さっと身を翻して、一目散に窓を目指す。
こいつ、と私のローブを一人が掴む。
えいっと駄目元で足に意識を集中したら、彼はすてーんとすっ転ん
でひっくり返った。

(調子いいわっ)

 そのまま窓に突っ走ろうとした私の前を、もう一人が塞いだ。
結構な体格だ、万事窮すここまでか。

「逃がすものかっ」

 私を捕らえようとしたのか、誰かが叫びながら突っ込んで来て、
勇敢な「彼」は勢いを殺しきれずに窓を塞いだ男にぶつかり、二人
はもんどり打って床に転がった。

「あああああっ、ごめんなさいっ!ごめんなさいっ!」

 下敷きになった犠牲者に謝る声は、我が友エイドリアン。
えーと、もしかして……?

 それはひとまず後回しにする事にして、私は思い切って、窓から
ぴょーんと飛び出した。


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