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「あ。いま、魔女が横切った?」 5

「おはようございますヴァテス、爽やかないい朝ですわねっ」
「やあ、おはようアギレラ。今朝も君は、花の様に美しいね。そし
て随分と、機嫌が良さそうだ」
「おかげさまで、ほほ」

 上品に、手を口に当てながら私は、手首の形になったフックに外
套を放った。
がしっとそれは、私の外套を自発的に受け止める。
うん、今までで一番使えるわ、気色悪いのさえ我慢出来るなら。

 機嫌がいいのは当然だろう。
昨夜はあれから、私は例の爆弾を、会員の一人のポストに仕込んで
来てやったのだ。

 今頃、陛下の所には血相を変えたおばさまがたが押し寄せて、ち
ょっとした騒ぎになっている事だろう。

(うっふっふっ)

 ざまあ見るがいいのだ、あの所長。
私のエレンを公衆の面前で馬鹿にして、ただで済むと思ってはいけ
ないのだ。
正確には私のでは無いけれど、密かに思うだけなら構わないだろう。

 しかも、私はついていた。

 昨夜は、二回もこの特技を使えた。
にも関わらず、頭痛も疲労も無く済んでしまった。
慣れたのだろうか、体が?

 そして窓から思い切って飛び出したら、無傷で地面に着地した。
私は藪にでも落ちると踏んでいたのだが、幸運にも、足を下にして
上手に降りられたのだ。

 その直前に、ふわりとした逆のベクトルを感じたように思ったけ
れど、クッションみたいに柔らかい何かに受け止められたと思った
けれど。
多分、気のせい。

 昨日の幸運といったら、神がかりと言ってもいい。
追い掛け回されて庭を走り回ったけれど、いざ掴まりそうになると、
彼らは何故か木の根っこに足を引っ掛けて転ぶのだ。
そして門を飛び出したら、何故かそこに野生の馬が走って来て、乗
れと言わんばかりに私の前に膝を折った。

 日ごろの行いがいい私への、きっと神様からのご褒美なのだ。
トゥアハ・デ・ダナーンは、海の彼方から我々を見守って下さり、
善良な哀れな小娘に助け手を寄越されたのだ。

 神々よ、讃えあれ!

 普段は無神論を展開しているのに、われながら単純なものだ。

(でも、ちょっと。さすがに。……無謀だったかもしれない?)

 神がお見捨てなかったから、助かったものの。
思い立って行動に出たのは、いささか頂けなかった。

「かもしれないじゃなくて、無謀でしょう」

 後ろでぼそりと聞こえたので、聞き逃した私は上司を振り返った。
エレンは眠そうにヘーゼルの目を瞬かせながら、彼のお気に入りの
ロッキングチェアの肘掛にもたれかかって、何故か。
異常に疲れた顔をして脱力していた。

 朝っぱらから勤務時間中にこの人は、困ったものだ。
いつもなら叱りつけて自戒をして頂く所だけれど、今日はこの、楽
しい気分を台無しにしたくなかったのでぐっと堪えた。

「何か、おっしゃいまして?」
「いいえ、何でも無いですよ? 愛しいやんちゃさん」
「はあ」

 相変わらず朝っぱらから濃い人だと思いながら、私は、白衣を身
に着けて掃除を始める準備をする。

(何だか、やけに押し付けがましい、嫌らしい言い方よね。しかも
何、やんちゃさんって?)

 この私を捕まえて、失礼にも程が有るのだ。
おしとやかで冷静沈着なパーフェクトレディと言ったら、巷での私
の代名詞みたいな物だ。

 ……それは少々、頭に乗った言い草だろう、反省しなければ。
私には、おもちゃに見えたのだが。
あれが割り込んでくれなかったら、私は機会を作れずに、さらには
あの場で顔を晒す羽目になっていただろう。

 あれは、エイドリアンだろうか?

 朝、ばったり会った彼に、どう声を掛けたものか私は迷って。
正直に打ち明けようと歩み寄ったら、彼はやけにすっきりとした顔
で私に囁いた。

『実はね、朝からちょっとした騒ぎになったんだけど。母は激怒し
て、いつになく強気。父はしょげかえってねえ。なかなかいい薬に
なったと思うんだよ。感謝しなければ』

 と、どこか共犯者めいた仕草で片目を瞑ったのだ。
だから多分、間違い無く彼には賊の正体がわかっただろうと思うけ
れど。

 どうやら、許してもらえたらしい。
我々の篤き友情を、神々もご照覧あれ!

 ……彼だとしたら、一体どうやってあんな不思議な物を手に入れ
たのか。

(まあ、いいか)

 すべて丸くおさまりそうだから、この際構わない。
女とは、常に秘密に満ちた存在であるべきなのだ。

 私は、今日使う薬草を取りに中央倉庫に行こうと、籠を手に取っ
て玄関に向かった。
その時ペットのレインボーが、コニチワコニチワとカタコトで話し
ながらばたばたと飛んできて、頭上で何かを私に放った。

(なに?)

 顔を上げた私がそれを認めるよりも早く、エレンが意外な程の素
早さで私の頭の上で受け止めて、さっと後ろに隠した。
……何故か悔しい私は、負けず嫌いだろうか。

「今のは、何です?」
「内緒」
「あら、いいじゃないですか。見せて下さ……」

 むきになって私は、彼の背後に手を伸ばそうとする。
ひょいひょいと巧みに身をよじって取らせてもらえない。
それに苛立って、がしっと彼に腕を回して逃がさなくすると、すか
さずエレンが私を受け止めて、ぎゅうぎゅうすりすりと暑苦しいコ
ミュニケーションに及んだ。

「君から来てくれるとは、嬉しいね」
「はっ、離して下さいっ」
「可愛い小鳥さん、君はもう、籠の中さ」

 にっこりとエレンが微笑む。

(なあああーにが、籠の中よっ)

ぎゃーとか、きゃーとか、いやーとかキザー! とか私は心の中で
叫びながら、あくまで顔は冷静に取り繕って。

「いやらしいですよ」

 そして私はぐきっと上司のあごを上に跳ね上げて、ぷりぷりと怒
りながら、彼から離れて逃げ出した。

(全く! 油断も隙も無いとはこの事よ!)

 私の後姿を見送って、ほっとしたように力を抜いたエレンが、上
空で羽ばたく鸚鵡のレインボーをものすごい目でにらみつけたのも、
彼が後ろ手に隠したのが魔女の小さな人形だったのも、私は見損ね
たわけだけれど。

 私にしてみたら、それどころの騒ぎでは無い。
私はこれ以上は無いくらい真っ赤になって、半分泣きそうな顔で、
慌てて走って逃げていたのだから。





 懐かしそうに、男はそれを受け取って眺めた。
子供の頃に、魔女はどんな姿なのかと聞いたら、彼が席を外して、
それを手早く作って持って来てくれたのだった。

「無いと思っていたら。貴方が持っておいででしたか」
「みたいだね。たまたまこの間出てきてね。君が大層喜んだのを思
い出して、君の息子にどうかなと思って」
「ああ、いいですねえ。私も飽きずに遊びましたから」
「気まぐれを起こして動かしてみたけれど、まだまだ使えるみたい
だよ」

 エレンが机の端に座って、ミントティーの香気をたしなんで、そ
れから一口飲んだ。

「マリーは、動くおもちゃが大好きだったねえ」
「いい加減大の男にマリーはおやめください……」
「なあに、洟垂れ泣き虫の、おねしょマリー?」
「それもお願いだから、やめて下さい」

 恥ずかしいですよ、と。
目の前の椅子にくつろいだ大柄の男が、渋い顔でエレンに懇願した。

「君、おおかた。鬼みたいに目を吊り上げたマダム達から逃げるた
めにここへ来たんだろう。悪戯が見つかった昔と、全く同じ行動を
とってるじゃあないか」

 それで良くもまあ大の男などと言える物だと、親しみのこもった
口調でエレンはからかった。

「良く、お見通しで」
「うちの助手が、ちょっと関係しているみたいでね?」
「可愛らしいお嬢さんですな。あなたは日々、楽しそうでいらっし
ゃる。張り合いにおなりですか」

 男の口調には含みが有った。
エレンはじろりと睨みつけて、机から軽く足を伸ばして、足先で小
突く真似をする。

「賢しげな事を言うな」
「やれ、ひどいですね。王国広しと言えど、私を足蹴に出来るのは、
あなただけですよ」
「黙れ、洟垂れ小僧。お前と言い、レインボーと言い、余計な手出
し口出し無用と何度も言っているだろう」
「なるほど。彼は何らかの手出しでご不興を被って、あれですか」

 男は籠の中の、呪で縛られて話せなくなった鸚鵡を横目で見て、
気の毒そうに苦笑い。
ああ、余計な事をするからああなったんだよ君も気をつけなさい、
とエレンは脅し交じりの言葉を口にして、悪戯っぽく目をぱちぱち
させた。

「だから毎回毎回、人をけしかけるのはやめるように」
「ほんの、老婆心ですよ」

 にやっと笑う男を、もう一回足でぐりぐりと突くエレン。
男はそれを避けるように、素早く体を捻る。

「あなたはもっと、欲張りになっても宜しいと思いますが。あなた
が望めば、私はいかようにも」
「……黙りなさい」

 男の一言に、それまでどこか余裕ありげな笑みを浮かべていたエ
レンはすっと表情を消して。
心底から不快そうに、ヘーゼルの髪を揺らして横を向いた。

「黙りません。私は、あなたが久々に人の子の間で暮らしたいとお
っしゃるから、喜んでいたのです」
「ただの気まぐれだ」
「なぜ、諦めておしまいになる」
「黙りなさいと、言っている」

 エレンが語調を強めて、机を手のひらでばんと叩いた。

 そこで男は、憮然としながらも引き下がる事に決めたようだ。
猫のブラックが、心配そうに周りをぐるぐる徘徊する。

 エレンは机の上に膝を立てて、あごを載せた。

「……私とて、人の子だよ」

 どこか寂しそうな、消え入るような呟きに男は表情を固くして、
私の失言でしたと、頭を下げた。

「うっせー、ばかやろうっ!」

 神妙な面持ちで俯いたまま男は、手近な本をさっと盾にして、ミ
ントティーの噴水を避けた。
ちっ、ザンネン、とエレンが指を鳴らして悔しそうに。
男は防御を解いて、得意げににんまりと笑った。

「これでも一応、鍛え……」
「黙ってろってんだすっとこどっこい!」
「ぶわっ!」

 ぶっ、ぶっ、ぶぶぶぶぶっ!

「この、クソ野郎がっ!」
「わっ」

 ぶぶぶぶぶっ、ついでにぶしゅーっ!

 エレンのかん高い笑い声が、ガラクタ部屋に響き渡った。
腿を平手で叩いて、エレンは体を折って大笑い。

「引っかかったっ、うすのろマリーめっ」
「一体いくつにおなりですか、もう!」

 机の上を転がりまわる名付け親に、たまりかねて男が叫んだ。




「……覚えて無いよ、数えるのはやめたから」

 ぴたりと動きを止めて、どこか透き通った声音でエレンは答えて。
さあそろそろ現実に帰りなさいマリーと、悪戯をして隠れた彼を追
い返した、あの頃と。
寸分変わらぬ優しい口調で、男をやんわりと責務に押しやった。





(あら、まあ)

 薬草を籠一杯に頂いて戻った私は、先日と同じ馬車がうちの部の
前に留まっているのを見咎めて、立ち止まった。

(随分、熱心な方だこと)

 よほどご執心の婦人がおいでなのか、それとも、毛生え薬でも調
合してもらいに来ているのだろうか。
どちらにしても、こんなインチキ臭い所に通うのだから、あの騎士
様の素性も怪しいものだ。

 ドアをくぐった偉丈夫を認めて、私は本音を隠して会釈をしなが
ら進路を開けた。

「……あのっ」

 ふと思い立って私は、軽く俯いたまま、彼に声を掛けた。
貴人にこちらから言葉を掛けるのは失礼な行為であるのだが、懸念
していた事を、聞かずにはおれなかった。

「何か?」
「つかぬ事をお伺いしますが、騎士様。いえ、というよりも忠告な
のです。ティーポットに、お気をつけあそばして?」
「……ありがとう。だが残念ながら、もう遅いみたいだ」

 敬意を示し、会釈をしたままの私の頭上で、彼が顔の覆いを取り
去る気配。
途端に、ふわんとミントの芳しい香りが立ち昇った。

(遅かった……!)

 あの、おバカタレ上司っ。
偉い騎士様になに晒す、一難さってまた一難だ。

 申し訳ありませんっ、と私は悲鳴混じりに深々と頭を下げた。

「きつーく叱りつけておきますので、どうかご容赦下さい。悪気は
無いのです、稚気というか、ヴァテス流の冗談と言うか……その。
私の方でお諌めしておきますので、どうかどうか、騎士様にはヴァ
テスへのお慈悲を賜りたく」
「ははは、彼を叱り付けるか!」

 騎士様が、お腹の底からおかしそうな声を上げたので、私は意表
を突かれて顔を上げて。
うううううううっ! とカエルが潰れたみたいな見苦しい声を上げ
て、そのまま固まってしまった。

 がっちりと四角い顎に蓄えられた豊かなひげ、はちみつ色の短髪、
皺の刻まれた、賢そうな、中年の。
穏やかな笑みを讃えたまま、彼は、フードを目深に被り顔をマスク
で覆った。

(嘘でしょ)

「エレンをよろしく」
「……え、はい、あの。叱って、はい、よろしくお願いします」

 しどろもどろの私を、おかしそうにもう一度見やって。
彼は、いえ、その方は。
立派な体、いや、ご立派な御身をさっと翻した。

(まさかよ、まさか)

 むむっと私は彼のローブの下の、こんもりと盛り上がったあたり
の物を思い浮かべる。
はらりと跳ね上がったそこに、失礼ながら予想通りのそれを見つけ
た私は、息を呑んだ。

 彼には、突風に思えただろうか。
一度彼は、むき出しになった腰の剣に無造作に視線をくれて、それ
を抜いて横に待ち受ける侍従に預けて。
そして、馬車に吸い込まれて消えた。

 あれは、間違いなく。

 湖の貴婦人に与えられたと伝えられる、王国の支配者だけが持つ
ことを許される、聖剣エクスキャリバー。

(……のパチもんだったりして、はは)

 いやいや失礼だろう、何故なら私は素顔も確認したのだから、間
違いないだろう。

 肖像画と、新年にバルコニーで、米粒みたいなお姿を拝し奉った
だけだけれど、恐らくあの方は。

 ……国王アデルバート・マリエル・レムスW世陛下。

(まさか、あの方までこんな場所に)

 ……見なかった事にしようと、私は額に手を当てて今の光景を振
り払おうと努力する。

 近頃お年を召されたけれど、陛下は、確か禿げてはいなかった…
…と言う事は。

 愛妻家で清廉潔白と敬われるあの方がこんな場所で「どうしても
おー惚れさせたい女が居てさあー」とか。
「うちの奥さんとエロエロ夫婦生活を楽しみたいんだよおー」とか、
いやさもしかしたら「浮気してる女が居るんだけどさあー」とか。
そんなクダを、ここで巻いていると世間に知れたら大変だ。
世も末だ、全く嘆かわしい。

(不潔だわ。殿方って、見かけによらないのねっ)

 ほのかに抱いていた憧れの心は、粉々に砕かれた。
私はフラフラしながら、我が親愛なる懲りない助平上司が、手をわ
きわきさせながら待つ扉をくぐった。


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