母が言うには、ある夕方に、外から帰って来た私が唐突にそう言
い出したという話だが。
十年以上昔の事だし、その当時の記憶が曖昧なので、何をきっかけ
にそう思い立ったのかはわからない。
とにかく私はそれまで母が嘆くほどのお転婆娘で、朝から晩まで、
剣を片手に泥だらけになって走り回っていた子供だったのだが。
その日を境に、怠けていた勉学に身を入れる様になったのだ。
周囲がどれだけ、女は学院には入れない、ヴァテスやフィーリどこ
ろかそこに至るまでの道が開けていないと言っても耳を貸さずに、
ひたすら来るべき試験を目指して勉学に励んだ。
そして、学院に入学する年になって制度が変わり、女も受験出来る
と聞いて早速応募して優秀な成績で合格したのだ。
昔から私は、父様と兄様をお助けする為に、女だてらに戦士にな
るのだと決めていた。
領地は貧しく、土地は痩せ、領民の男は食べる為に戦って金銭を得
るしか道が無かったのだ。
そして、安全な中央の人たちには想像出来ないだろうけれど。
頻繁に起きる小競り合いで犠牲になるのは、常に辺境の民なのだ。
だから、我々は生きる為には戦うしか無かった。
賢王と名高い今の陛下の御世であっても、それは変わらない。
兄様が戦死されて、跡を継ぐのは私しか居なくなってから、ほど
なくしてこの道に入ると決めた。
領主になれば、私が先陣を切って領地と領民を守らなくてはなら
ない、その為には手を汚さなくてはならないと、私は覚悟を決めて
いた。
けれど当時は子供だから知らなかったけれど、男と同じ事をしたと
しても、私には領主になる道は拓けていなかった。
この国では、女には継承権が無いのだ。
だから、親族から男子を貰って来て継がせる以外に、家が存続する
道は無かった。
だが魔道士は違う。
民の尊敬を集めて、すべてにおいて特別な権利を与えられる魔道士
ならば。
女の身で有っても、政治的な配慮を賜る事が出来て、私でも領主に
なれる。
恐らく当時の私は、それをどこかで聞き込んで来たに違いない。
そして幸運にも、新しい制度に乗って学院に入り、いまここに至
るというわけだ。
一念は岩を貫くのだ。
今の所、貫けていないのは上司のグウタラ病位だけれど、その程度
は給料の範疇なのである。
(さてと)
私は、あらかた集め終わった枯葉を端に寄せて、髪をまとめてい
た布をほどいた。
そろそろ、結果が判明する頃だろう。
申請局まで行って、確認しておきたい事柄が有るのだ。
申請課の、初老の係員が台帳を捲りながら、私に答える。
そんなはずは無いと私はカウンター越しに身を乗り出して、彼の手
にした分厚い本を覗き込んだ。
確かに、私が申請した日に、記録が無い。
「ここに無い場合は、恐らく。最初の審査の段階で、目を通す価値
が無いと判断されたのだと思われます」
「そんな……それは、ありえないと思うのですが」
「失礼ながら、それは貴方の価値観であって。フィーレ殿」
小娘の、自信たっぷりの生意気な言い草に思えたのだろうか。
私よりは階級はずっと下だが、年齢は遥かに上の役人は、慇懃無礼
な口調で、冷たく私に答える。
「研究の価値は、審査役の上の方たちが判断される事です。こちら
に記載されていないならば、受理もされなかったものと思われます。
恐らくは破棄されたのでは無いでしょうか」
「……そうですか、わかりました。お手数をおかけしました」
「貴方はお若いですし。まだまだ先は有りますでしょう。是非、次
回も研鑽なさると宜しい」
意気消沈した私をさすがに気の毒に思ったのか、窓口の男性は取
り成すようにそう言った。
私はそれに曖昧に微笑んでおいてから、申請課を後にした。
(自信が、有ったのだけど)
欝に沈んだ人の心を高揚させる、医学的初見から見た唄と呪言に
ついての研究と、痩せた土地に地力を与える可能性についての論文
を提出したのだ。
審査に通ると、上手くすれば認可対象に認定されて、国の公的予算
が下りる。
駄目でもランクが付けられるから特許を取り易くなるし、ランクで
箔が付けば、儲けの種にも成り得るのだ。
たまたま発見したいくつかの法則を元に、学院時代から五年の歳
月を費やして完成させた魔法だった。
今年の夏、来年の認可に向けて満を持して申請したのだ。
「やあ、アギレラ姫。ご機嫌が芳しく無い様だね」
申請課を出て、何となく立ち去りがたい物を感じて止まっていた
私にすれ違い様に声を掛けて来たのは、同窓のバーンハード・ビア
ズレーだ。
私と同じく飛び級クラス出身の秀才で、ビアズレー公爵の次男坊。
彼は学院を卒業して軍事研究の道に入った、陛下の覚えも目出度い
出世頭だ。
見るからに役人然とした酷薄そうな男で、事実、選民意識が強く
自己中心的な所が多分に有るこの同窓生を、私は余り好いてはいな
かった。
けれど、彼と正面切って対決するような事態に未だかつて陥った経
験は無く、関係は概ね良好。
お互い礼儀正しく言葉を交わす程度ではあるけれど、表面上は友好
的な同輩同士だ。
「まあ……そうね。今年の申請が、駄目だったものだから。ちょっ
とがっかりしている所だったのよ」
私が歩き出すのに足並みを合わせて彼も出口に向かう。
肩をすくめて私がそう正直に告げるのに、バーンハードは気の毒そ
うな顔を作ってみせた。
「君は大変なんだから。失礼だが色々と難しい環境において……そ
の、ね、勤めてる部署がね。その中で研究を続けているだけでも、
賞賛に値するよ」
「そう? どこだって大変なんだから、条件は一緒よ。だから私に
問題が有ったって事ね」
「君は完璧主義だなあ。そうは言っても、通る方が難しいのだし、
気にする事は無いよ」
本部の、重厚なガラス張りの扉を連れ立って抜けて、彼は歩みを
緩めた。
「一生研鑽して、ひとつも物に出来ない人間だって居るんだから、
完成させるだけでも大したものさ。君には才能が有るんだから、こ
れに懲りずに頑張れよ」
「ありがとう、優しいのね」
「当然だろ? 154期生の仲間だしね。行き詰ったり、困った事
が有ったらいつでも相談に乗るから、言ってくれたまえよ」
私とは反対の方向に向かう彼は、完璧な礼儀正しさと愛想の良さ
を伴った笑みを浮かべて、背筋を伸ばしたまま背中を向けた。
同じく完璧なお別れの挨拶を彼の後姿に投げながら私は、ふふーん
だっ、と心の中で舌を出した。
(優越感丸出しにしちゃって。この万年おこぼれ野朗がっ)
学年リーダーを決める時には、バーナードは。
就職や直後の査定に影響が出るリーダー役になりたがって、遠まわ
しにライバルに圧力を掛けていた。
その時は、運良くライバルが大病を患って休学したため、彼はリー
ダーの栄誉に預かる事が出来たのだ。
優秀者だけが特別に入れる飛び級クラスだって、おこぼれで滑り
込んだのだった。
彼は次点の補欠だったのだが、たまたま。
彼の知人がその年のクラス編成に携わっていたからか、何故かその
年は数人の枠の拡大が実施されて、彼は飛び級クラスの一員となっ
た。
武器戦略研究所に就職した時もそうだ。
在学中、軍事関係を専攻していて優秀な成績を修めていた私に、当
初はスカウトの白羽の矢が立ったのだ。
けれど私がそれを蹴ってエレン特別部に入ったため、彼は希望して
いた部署に入る事が出来た。
それなりに優秀だけれど、いつも次点のバーナードは。
運と、媚びと、人脈でもって、着々と出世への道を歩んでいる。
彼が私に親切なのは、私が、左遷同然と思われている部署に配属
されたからだ。
だから、私に対して穏やかな気持ちで接する事が出来るのだ。
それは、他の研究員も同様で。
異質な存在で、しかも生意気にも抜きん出て優秀だった私に対して、
周囲の風当たりはいつだって強かった。
学院時代は嫌がらせを色々と陰で受けたし、物事がスムースに運ん
だ試しなど無かった。
今しがた申請課の役員に、男性のフィーレであれば考えられないよ
うな口の利き方をされていたのと同様に、世間では。
私は侮られて叩かれるべき立場であったのだ。
もしも私が出世の花形コースに乗っていたら、彼らは私をアギレ
ラ姫などと持ち上げて友好的に扱ってはくれなかっただろう。
私が終わってる部署でくすぶっていると思うから、彼らは私に侮り
を含んだ寛大さでもって接していられるというわけだ。
だから、私はこうして平和に暮らせているのだ。
そう思うと私の研究員の日々は、奇しくも私への侮りの元になっ
ている、エレン特別部によって守られていたといってもいいだろう。
日々、無駄な雑事には奔走させられているけれど、少なくとも。
男性所員のあからさまな嫌がらせや、出世するためのストレスだら
けの辛抱からは解放されて、のんびりと好きな研究をして過ごす事
が出来たのだから。
私は振り返って、本部の横に並んだ、威圧的で重厚な佇まいの軍
事研究所と、その横の武器開発研究所を仰いだ。
……いや、更に正直に言うと気が進まない、こんな所に勤務せず
に済むならしたくは無い。
威圧的で重厚な佇まいの軍事研究所と、その横の武器開発研究所
を仰いで私は固唾を飲み、誰も居ないその場で、何故か息を殺した。
卒業前に早々に声を掛けて来た武器開発研究所が、具体的に何を
する所なのか、私は知っていた。
武器を初めとした、戦う為の魔道、暴力的な呪法を研究する所。
武器に対して属性を付けたり強化する呪文、これはまだいい。
人を大量に殺傷する手段や、狂わせる手段。
思いのままに操ったり、自白を強要させる手段。
意志を無くして、反抗心を奪い廃人にする魔道。
その他諸々、魔道の暗黒分野に相当するおぞましい手法が、勝利の
為というお題目の元に、正々堂々と研究されているのがここだ。
吐き気を覚えながらこの分野に特別力を入れて勉強して来たのは、
ここに入る為だ。
出世に一番近い所だからだ。
仮に退職したとしても、恐らくはどこででも求められている魔道で
あり、最も儲け話にありつけそうなのがこの分野なのだ。
俗にゆりかごから墓場までと言うが、まさしくその通りで。
生と性、死と暴力、この四つの要素にこそ立身出世の種が眠ってい
るのが世の常だ。
私は、出世か金儲けかこの二つのどちらかを成す為に、最高学府
まで来て魔道を修めたと言っても過言では無い。
実に散文的な理由だが、私にとっては重要な問題だった。
だから私の好みは二の次なのだ、とにかく私はここに就職したい。
息を潜めたまま、私は、一歩踏み出した。
今日、人事担当者との面会が有り、そこで面接がてら意志を確認さ
れる。
そうしたら私はもう、後戻りは出来ない。
(……ふ、ふふふん。何ほどのものだって言うのよ)
訳も無く悪態をついて、私は自分を奮い立たせた。
そして一気に進もうかと、後ろに張り付いて残ったままの足を持ち
上げようとした瞬間だ。
目の前を平行に何かが掠めて私の前で失速し、直角に落ちた。
私が足を止めたのは、その物体に見覚えがあったからだ。
紙でトンボの胴体と羽を象った物に、プロペラや風車などを付けて、
いくらか回すと飛ぶように細工したおもちゃ。
露店で良く売られている、ゴムトンボだ。
郷愁を誘われて私は思わず、体を屈めてそれを拾い上げた。
どこかに、子供でも居て飛ばしたのだろうかと振り返る。
振り返った先、芝生をよたよたと私を目指して歩いてくるその人物
に、私は眉をひそめた。
ゴムトンボがびっしりと入った袋を前に抱えて、両脇にも抱えて、
さらには背中の背嚢にも、蓋が閉まりきらない程にビッシリとゴム
トンボを詰め込んだ状態の過積載人間だ。
人並み外れた長身と、その割にはひょろっとした頼りなげな体格の
その人物は、抱え込んだトンボの群れの重さに耐えかねているのか、
ヨロヨロと左右に揺れながらこちらに向かって来る。
怪しい。
何とも胡散臭い。
「ちょっと待って、ちょっと、それを」
息も絶え絶えのその声からすると男性と思われるトンボ人間は、
私に向けて手を伸ばして、持って来てくれと手振りで要請している。
私はトンボを手の平に載せて、彼に近寄って行った。
「ありがとう。ちょ、ちょっと。待って」
よっこらしょと彼はかけ声に合わせて胸に抱えた袋を下ろし、は
あーやれやれと息を吐き出して脱力した。
はしばみ色の短髪、どこか女性的で優雅な印象を与える繊細な面
差しをしたその人は、にこにこと愛想の良い笑みを浮かべながら私
に向かって腰を折って、やあ、と気さくに声を掛けて来た。
(この人、知ってる)
直接の面識は無いが、学院でもちょくちょく話題に上る人物だ。
数年前に、陛下の特命により突発的に、何のためかもわからない得
体の知れない部署が開設された。
謎に満ちたその部署には、謎に満ちた人物が御下命により責任者と
して任命されて、日々謎に満ちた行動をしているらしい。
彼は恐らく、オカマの変人ヴァテスとして評判の、エレン・ユー
ジン教授だろう。
変人だろうがオカマと言われていようが、ヴァテスと言えばずっと
上の高級官僚だ。
私は丁重に腰を折り曲げて、儀礼に乗っ取ってきちんと挨拶をしな
がらトンボを差し出した。
「いいよ、やっぱりあげる。沢山持っているからね」
人懐っこい笑みでエレン教授は、私にそれを押し返して来た。
結構ですと返そうとすると、エレンは。
「折角だから、ね。これ君、好きだろう?」
と再び私に、トンボを握らせた。
「ありがとうございます」
何が折角なのかわからないけれど、おまけに、こんなおもちゃ貰
っても困るけれど、これ以上断ると角が立つと思った私は礼を言っ
て受け取った。
それから、頂き物をした以上は仕方ないと思い、社交性を無理に捻
り出して話の水を向けた。
「すごい数のトンボですね」
「すごいでしょう? 今日、ここに来る途中で買ったんだ」
「買った?」
「そう、トンボ売りの子供から、全部」
「はあ、全部」
どうして又そんなに大量に買ったのだろうか、と思った私の内心
が、表情にあらわれたのだろう。
エレンは、実はね、と説明を始めた。
「道端でトンボを売っていた少年が、とても気の毒な身の上でね。
彼の父親は早くに亡くなって、母親が一人で家計を支えていたらし
いけれど、病気で倒れてしまわれたのだそうだ。彼は八人の兄弟姉
妹が下に居てね、その生活費を稼ぐために、こうしてトンボを作っ
て売っているのだそうだよ。何とも感心な話だろう」
「ええまあ、そうですね」
それが本当ならね、と私は内心で突っ込みながら、エレンの話に
相槌を打った。
エレンはそこで唐突に、胸のポケットからレースのハンケチをささ
っと取り出して、まぶたに押し当てた。
「しかも、しかもだよ君! その母親の手術に、膨大な治療費がか
かるのだそうだ。手術をしないと、お母さんは生きられないのです
と少年は泣き伏してね!」
「はあ、そうですか」
「何と哀れな話だと、ついついもらい泣きをしてしまったよ。しか
も、しかもだよ君!」
「はあ、はい」
半ば少年の言い分の真偽を怪しみつつも、私は律儀に返事をする。
エレンはそこで、ううっ! と感極まったのか、声を裏返した。
「妹さんまでもが先日、流行病で高熱にかかり、失明してしまい。
更には弟さんは、出稼ぎ先で足を折って、働けなくなってね! 彼
らを医者にも見せてやりたいと少年は言うのだ! 何て気の毒な身
の上なのだろうっ」
「それで。これは単価お幾らでお買い求めになられました」
私が淡々とお伺いを立てると、エレンはハンケチに顔を伏せて頭
を振りながら、相場の三倍の価格を口にした。
(やっぱり)
白けて半目になりながら、私はハンケチで鼻を咬む、目の前のお
人良しを見やった。
この、見るからにうすぼんやりとした、いいとこのぼっちゃま風の
麗人――本来は女性に対する言葉だが、この教授にならぴったり
はまるだろう――は、百戦錬磨のストリート少年には、さぞやいい
カモに映った事だろう。
まあそれもいいだろうと、私は結論付けた。
彼には余裕が有るから出すのだし、事実問題それを生活の糧にして
いる貧民にとっては、当座の暮らしを保障してくれるいい収入にな
っただろう。
今日の夜は、彼と、彼の家族は久しぶりに豪勢な馳走にありつけるに
違いない。
「ねえ、ところで君」
その場を辞そうと背中を向けかけた私の腕を、彼が素早くがしっ
と掴んだ。
まだ用が有るのかと面倒臭い気持ちを押し殺して振り返った私を、
彼がずずいと間近で覗き込んで。
「一目惚れって信じる?」
「一目惚れですか。さあ……」
「たった今、私は信じた所なのだけど。君に出会ってね」
藪から棒に何を言い出すのだこの胡散臭い男は。
「ああ、夢の様だよ、美しい人。これは恋だね」
(な……何ですかこの恋、もとい濃い人は)
にこにこと、人懐っこい笑みを満面に浮かべて、エレンはトンボ
のプロペラを指先でくるりと回した。