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変身 4

「おはようございます、ヴァテス」
「やあ、おはようアギレラ。今日も綺麗だよ私の助手さん」
「私の、のくだりは削除して頂きたく思います。その部分以外は、
社交辞令としてありがたく頂戴いたしますわ」
「氷の女神みたいな君だけど、切ない程に素敵だね」

 大げさにいじけるエレンを尻目に私は、やかんを火にかけてお茶
を沸かすことにする。
余りにも寒いから、暖かい物でも飲んで体をほぐしたかった。

 ミントと、セージを少々入れようか。
朝の寝ぼけた頭をスッキリさせるにはいい配合だ。

「ヴァテス、朝から何をぐったりしておいでですか。今日はこれか
ら管理職の会合の日であること、お忘れでは有りませんよね」

 だらけた姿でロッキングチェアに横たわるエレンに、私は一喝。
エレンは途端に顔を引きつらせて、チェアにしがみついた。

「嫌だ嫌だ。みんな怖いおじさんばかりで、身が縮まる思いなんだ。
行きたくないよーアギレラー」
「いけません。仕事なのですから、きちんとなさって下さい」
「怖いよ、嫌だよ。そうだアギレラが付いて来てよ。あっ、いっそ
アギレラが出てくれた方がいいと思うの。そうだそうしよう」
「馬鹿な事をおっしゃらないでください」

 私がエレンの体を掴んで剥がしにかかると、彼はか細い悲鳴を上
げてチェアの背面にひしと抱きついた。

「いやー、やめてっ。あんな所に行ったら倒れちゃう」
「大げさな。行かないと怒られますよ。怖い人に怒鳴られますよ」
「それもいやーっ、アギレラのいじわる娘っ」

 こ、このお子様上司がっ。どうしてくれようっ。

 わなわなと怒りに震えながら、私はぐっと堪えて身を翻し、湯気
の立つやかんを火から下ろした。

(冷静に、冷静に。そうよこんな時こそ、ローズ、いやカモマイル、
いやそれとも、ストレス美肌にローズヒップでもいいわね)

 切れたらいけない彼は駄々っ子みたいな物なのだ、そういう病気
だと思えば諦めもつくのだ。
これも給料の内だ、そうそう、私の仕事は子守なのだから。
私は頭の中で、リラックス効果の有るハーブの配合を思い浮かべて
何を飲んで落ち着こうかと考える。

 そうだ、配合と言えば。

 エレンはたまに風邪を引くので、喉に利くブレンドも作っておい
て差し上げなくては。
うん、頭痛と発熱に利く配合も用意しておいてあげよう。
エルダーと、ジャーマンカモマイルと、それからローズヒップも多
目に、倉庫からもらって来ておかなくては。
せめて、今年の冬保つだけの量を作って、瓶に入れてラベリングし
て行ってあげよう。

(一人で風邪を引いてしまったら、お気の毒だわ)

 下手したら、ここで孤独死でもし兼ねないだろう。
そうなったら寝覚めが悪いでは無いか。

 トレイを小脇に抱えつつ私は、カモマイルをたっぷり入れたポッ
トにお湯を注いで、ティーコゼを被せた。

 それから、そう。
予定を書き込むためのカレンダーも、作って行ってあげよう。
非常に忘れっぽいのだからうちの上司は。
私が居なくなった途端にさぼりだしたら、うちの部の恥、引いては
私の恥では無いか。

 あと、それから。
書棚と、ガラクタ置き場の整理もしておこう。
私が居なくなった途端にゴミ溜めになったら、うちの部の恥、引い
ては私の恥では無いか。

(それから、それから、何をしておけばいいかしら)

 別に、すごく心配をしているわけでは無いけれど。
エレンだって子供では無いのだから、自分で自分の身を処す位は出
来ると思うのだ。
ただ、あくまで、ただ。
我が部の恥、引いては私の……。
そう、私の恥なだけで……。

(……何をして行ってあげたら、長く不自由しないのかな……)

 テーブルに置いたティーポットの前で、蒸らす時間を待ちながら
私は、自分の行動計画を練る。
月末まで忙しくなりそうだ。
その時後ろからにゅっと長い腕が伸びて、不埒にも腰に巻きつくの
で私は。
また、何をこの上司はと、腕を軽くつねりながら振り仰いだ。

「何ですか。ちゃんとお席までお持ちしますよ」
「うん、よろしく。寒いから、暖かいお茶が欲しかった所だ」
「……私は湯たんぽではありません」
「そりゃあそうだ」

 当たり前だろうと言いたげにエレンは頷いて、それからやけに嬉
しそうに私の頭に頬ずりをした。
むっ馴れ馴れしいっ、と再び振り返って私は、エレンと目が合って、
つい何も言えないまま前を向いてしまう。

「じゃ、邪魔です」
「そうですか」
「お茶を、淹れたいです」
「はい、よろしくお願いします」

 そんな優しげに目を細めて、じっとこちらを見られたら何も言え
なくて困るでは無いか。
本当は邪魔だし、迷惑だし、私は煩わしくて困っているのだ。
別に、こんな風にされるのが、ちょっといいかもしれないと思って
いるのでは、断じて無い。

 それからついでに言うと、顔が赤いのは。
今ポットからカップに注いでいるお茶の湯気のせいなのだ。

(くっつきすぎですっ、今日もくっつきすぎですっ)

「愛してるよ、私の心優しい赤毛さん」

 きゃーっとか、いやーっとか、もうやだあっこのキザ上司っとか、
乙女の最後の恥じらいが、私の中で身悶えして叫んだ。
それを縄で縛って連行して、ドアの向こうに放り出してばたんと閉
ざして鍵まで掛けて。

 私は、努めて冷静に受け答えをした。

「ありがとうございます。通算七百八十九回目ですね。八百回記念
には、お祝いをしなければなりませんね」
「やれやれだ。あなたはどう言ったら信じてくれるのだろう」
「勿論、信じておりますとも」

 鷹揚な口振りで同意してみせて私は、八百回目にはここに居ない
かもしれないけれどと、心の中でこっそりと。

(やっぱり、ちゃんと自分の口から伝えるべきだわ)

「エレン、お話が」
「うん?」

 私はその体勢のまま回って、彼を見上げて。

「お聞き及びかもしれませんが」
「うん」

 エレンがにこにこ笑って、ぎゅうぎゅうと暑苦しく体を寄せるの
で、怯んだ私は自由になる上半身だけで後ろに下がった。

「……あの。そろそろ離しては頂けませんか」

 この状況では話し辛いし、少々親密さが過ぎる様に思う。
私はエレンをやんわりと押し返そうと、手を前に出した。

「もうお茶が入りましたし」
「うん、やだ」
「うん、と、やだ、は。意味合いが相反していますよエレン」

 こつんとエレンが額を合わせて、そうかもねと同意を示す。
クアー、ミチャイランネッ、アサからイチャイチャしてさっ、と、
どこかで呆れかえった声が聞こえたように思うのは、私が緊張しす
ぎる余りに幻聴を聞いているのだろうか。

(親密すぎですっ、困るわよっ)

 いやーっ、とか、やだわっとか、ドアに閉じ込めた乙女の恥じら
いが抜け出して来て、私の脳内で暴れだした。
額を合わせたままエレンが顔を傾けて、ヘーゼルの瞳でじっと私を
間近くで見つめる。

「どうしようって位、君を愛してるんだけど」
「どうしようも有りません。軽々しく言ってはいけません」
「軽々しく無いのに」

 ぎゅむっ。

 私が顔を容赦なく鷲掴みにして押しやると、エレンがひどっ、と
悲鳴を上げた。
悲しそうに頭を振るエレンを見ていると、つい本当に信じてしまい
そうになるのだけれど。
勘違いはいけない、これはコミュニケーションなのだから。

(ちょっとでも、慣れ慣れしいわよねっ)

 どうもこれは、ビジネスライクな関係を、激しく逸脱しているよ
うに思うのだ。

「ごほん。エレン、そろそろお時間ではありませんか」
「えー、やだなあー、アギレラと居たいよ」
「子供みたいな事をおっしゃらないでください。あなたの替わりは
誰にも出来ないのですから」
「私の代わりが居れば、いいのだね」

 私の言葉にエレンがにんまりとして、さっと足早にガラクタ部屋
に向かう。
そして出口の所で立ち止まって、私に手招きをした。

(何よ、また変な物作ったんじゃ無いでしょうね)

 離れてくれたのはいいのだけれど、妙な発明を出されるであろう
嫌な予感だ。
私はその予兆にひしひしと襲われながら後に続いた。

「あら、まあ」

 ガラクタ部屋の入り口で、私は手を口に当てて戸惑いの声を上げ
た。
エレンと、エレンだ。
先に入ったエレンが素早くもう一体に寄り添って、二人のエレンが
親しげに肩を組んで、並んで立っている。

「やあ、こんにちは」
「やあ、こんにちは」

 まるで鏡を見ているみたいだ。
姿かたちもそっくりならば、声もそっくり。

「これなら、誰にもわからないだろう」
「これなら、誰にもわからないだろう」
「それは、そうですけれど……」

 こわごわと私は中に入って、二人のエレンの周りを回って、後ろ
から観察をする。
背丈もそっくりだ、これなら確かにわからないだろう。
しかし、これを認めてしまってはこの先エレンは、人形に仕事を全
部押し付けて、益々サボリ癖をつけてしまう。
私は何とか見分けをつけようと集中する。

「あら、これは何ですの」
「わーっ、それを触っちゃ駄目っ」

 右側のエレンの、ブラウスの背中に縦に筋が入っている。
そしてその上の端にちょこんと小さなつまみが。
それを二本の指で摘んで引っ張ろうとした私を、左側のエレンが慌
てて制した。
時すでに遅し。

 ぽーん!

 何かがはじける様な音がして、あたりに細かい茶色のふぶきが飛
び散った。

「きゃっ、なにこれっ!」
「ああああーっ私の傑作がっ」

 ぽーん、ぽーん、と弾ける音が止んだ後には、からっぽでシワシ
ワになった倉庫の野菜袋と、それから。
部屋中にはらはらと舞い降りるのは、大量の枯れ葉だった。

 これは、もしかして。
無いと不審に思っていた、昨日、私が汗水垂らしてせっせと集めた
あれだろうか。
それがエレンの手によって持ち去られて野菜袋に詰め込まれて、術
を掛けられ。
解かれた今は、この場で、部屋中を蹂躙している……。

(うふふふふ、どうしてくれよう)

「うふふふふふ、本当に傑作ですこと。さすがはヴァテス」

 私の顔をこわごわ覗き込んだエレンに無邪気に微笑むと、エレン
はへらりと媚びるように口を引きつらせた。

「気に入ってくれ……」
「んなわけ無いでしょう」

 むっつりとした顔で私は立ち上がって、ぱんぱんと体に降り注い
だ枯れ葉のかけらを払い落とした。

「ご自身で掃除なさって下さいね」
「え。だってほら、これから会議だし」
「お帰りになってからで結構でしてよ? ついでに、溜まってる書
棚の整理と発明品の整理も、今日はやって頂きましょうか」
「ええーっ、何たる鬼娘!」
「お黙りなさい!」

 堪忍袋の尾が切れた私がびしっと一喝すると、はいっ! とエレ
ンが直立不動の姿勢を取った。

「エレン。時間は押してますけれど、少々宜しいですか」
「はいっ」

 時間が有るから手短にね大事な用なんだ、とエレン。
何を抜かす、さっきまであれだけ嫌がっていたのにわざとらしい。

「私は。国家の予算でくだらない研究をするなと、口を酸っぱくし
て何度も何度も申し上げているはずですが」
「くだらないとは失敬な」
「くだらないです。日々、世のため人のため、国家のため。それが
我々の使命なのです。それを何ですか。受け取るフックだの、カエ
ルのゴミ箱だの、枯れ葉人形だの、ガラクタばかり」
「ガラクタとは失」
「力いっぱいガラクタです!」

 はいっ、とエレンが畏まって……以下略。





 全く、全く、全く。

 大丈夫なのだろうか、この駄目上司は。
私の中に、改めて不安が沸き起こるのだ。





 はー、もう、眉間の皺が残ったらどうしてくれようと忌々しく思
いながら私は、ポストを開いた。
今月の「銀砂エキスプレス」が投函されていた。
研究所すべてを網羅する、所員向けの情報誌だ。

 何の気無しに開いて私は目次に目を走らせる。
そしてこれ以上は無い位に目を見開いて、その場で座り込んだ。

(……これ、どういう事!?)

 バーンハード・ビアズレーの、酷薄そうな唇の薄い顔と、幸薄そ
うな層の薄い七三ヘアーの写真、は、どうでもいい。
その下に記されている内容に、私の目は釘付けになった。

『気鋭のエリート、大発明』

 と、題されたその記事は、何かの間違いなのでは無かろうか。
間違いだと思いたい。

「どうしたの、アギレラ」

 諦めて会議に出席する事にしたらしい、ケープのついた上等の外
套を羽織ったエレンが、出てきて私の様子を心配そうに伺った。
みたいだけれど、その時の私には全く目に入って居なかった。

「顔色がわる……」
「信じないわよっ!」

 勢い良く飛び上がると同時に、ぎゃ! と叫び声が上がったのも
耳に入らない程に、頭頂部に尖った何かが直撃したのにも気が付か
ない程に、私は動揺していた。

 マスターダイジョブ!? と何かが後ろで叫ぶのも聞こえなかっ
た。
それほどに、衝撃的な内容だったのだ。

「さすがアギレラ、君の愛はパンチが強いよ」

 涙目のエレンが、下から直撃されたあごをさすりながら言うのに
も、意識が向いては居なかった。
それほどに、とんでも無い内容だったのだ。

 バーンハード・ピアズレーの得意げな写真の下の、簡単な発表に
よると、彼の大発明と言うのは、間違いなく。
私が夏に申請に出したものの、受理されなかったと本部で言われた、
例の研究だったのだ。

 しかも、それは。

 軍事戦略において有効な手段であり、来春の実用化に向けて動き
出している、と注釈が付いていた。

(何よこれ、どうしてよっ)

 わなわなと怒りに震えながら私は、手の中の「銀砂エキスプレ
ス」を、バーンハードの代わりとばかりにぐしゃぐしゃに握りつぶ
した。

(あの万年おこぼれ野郎、あの泥棒猫っ。首根っこ捕まえて吐かし
てやるわよっ。あんたの頭にしがみついた薄い七三を一本残らずむ
しり取ってくれるっ、ひーひー言わせてやるわっ)

 ……あら失礼、姫たる者がお下品でしたわね、ほほほ。
でもそれほどに、私は怒り狂っていたのだ。

 これを誰が許せようか、いや、誰も許せまい(反語)

 盗作なのである。
事もあろうに私の研究が盗まれ他者の作と公表されて、しかも。
本来の目的とは全く違う、軍事技術として転用されようとしている
のだ。

 大事件勃発。


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