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「なあなあ、滝沢ってさ」

 更衣室にて。
声を潜めた一年男子の会話に、加納は聞き耳を立てた。

「あー、俺も思ってた。やっぱ?」
「いっとくけどわざとじゃねえぜ、あいつがさ……」
「……そうそう。ったく、しょうがねーなガキだよなー」

 途切れ途切れの声だったが、全部を聞かなくても内容は想像がつ
いた。

(ガキはどっちなんだかなー。しょーがねーなー)

 加納は、しまりの無い顔つきの同級生達をひっそり冷笑して、そ
れからラケットをロッカーの上から取った。
ウィンドブレーカーを羽織り学用品と着替えでずっしりと重いリュ
ックをロッカーに放り込んで、財布だけポケットに入れる。

 ちょっとパンツが見えたとか、どうでも良くないか?

 あんなもの布切れにしか過ぎないのだし、見せる側の気持ちがど
うあるかが問題だと加納は思うのだ。
きゃーきゃーはしゃいだ挙句にちらりと見えたなどというのは、子
供のそれを見たのと同じじゃ無いだろうか。

「やめろよ」

 はっきりとした大きな声に、更衣室を出ようとしていた加納まで
もが咄嗟に振り返ってしまった。
同級生の話に割って入るがっちりとしたウォームアップウェア姿の
男子生徒は、同じ一年の高木だ。
高校時代テニス部所属だった高木は、スポーツマンらしい爽やかな
面差しを非難の色で染めて、罪の無い猥談に興じる彼らの横に立っ
ていた。

「滝沢に悪いと思わねーのかよ」
「や、悪い意味で言ったんじゃ」
「そうだよ。わざとじゃないけど見えちゃってるぞって話」

 軽口とは言え面と向かって注意されて後ろめたかったのか、口々
に言い訳をのぼらせる。
それを高木は不快げにじろっと一瞥。

「見えてるなら言ってやりゃいいじゃん。滝沢がかわいそうだろ。
くだらねーことで喜んでんじゃねーよ」

 剣幕に怯んだ面々が、おう、悪かったなともごもごと謝ると高木
は満足したのか、大股に更衣室を出て行った。
高木こえーと残された一年男子が顔を見合わせて肩を竦める。

「別に俺ら、悪口言ってたんじゃ無いし」
「なー」
「つか高木あれじゃん」
「あれか?」

(あれまでは、まだいかなさそうだけど)

 飲み会で優しく介抱してくれたいい子に感謝して、そこから自然
と目が行くってパターン?
仲間とか言えちゃう高木ってイイヒトなんだろうなあと、加納は自
分とは合わなさそうな同級生の決めセリフを反芻して、口角を微妙
に上げた。





 良く言われるんだけどね、友達に。

「あかりあんたくつろぎすぎだから!」

 おじゃましまーすって上がって、普通にソファに座って、茶飲み
ながら靴下脱いでる私に突込みが入るのよ。
いやあねえ、友達の家じゃないか無礼講じゃないか、靴下脱がない
と落ち着かないのよ。
野郎で、室内じゃきついジーンズ履いてられねえって飲み会でいき
なりトランクス一枚になる奴と一緒よね。
女の私はさすがにそれはやらないけど、靴下は脱がないと気持ちが
悪いのよね。

 滝沢家多摩支部ともなれば我が家と一緒なんだし、もっとくつろ
ぐでしょう、ねえ?
滝沢家多摩支部ってここの事よ、加納俊哉のアパート。

 服を着なさいと後ろでもそもそ言うのを無視して私は、冷蔵庫か
ら牛乳を出して口をつけようとした。
すると小言じじいがぶつくさ言いながらコップを出して、牛乳はち
ゃんと分けて飲みなさいと言うのはすでにお約束。
しょうがないので私はコップに牛乳を注いでぐびぐびやった。
風呂あがりは暑くてパジャマなんて着てられないわ、水着みたいな
物だから気にするなと言ってるのに毎回文句を言うのもお約束。
人間諦めが肝心だと思うのよね、こいつ粘るわね。

 俊哉が私越しに目を走らせ無言で脱衣所の前まで行って、放り出
したタオルとテニスウェアを籠に放り込んでいる。
それから俊哉は、びしょ濡れだと文句を言いながら床を雑巾でさっ
と拭いた。
いずれ乾くんだから放っておけばいいのにと私が後ろから声を掛け
ると、俊哉が屈んだままじとーっと私を見上げた。

「あかりちゃんね……俺の介抱しに来たの、それとも俺に面倒見ら
れに来たの……?」

 そりゃあ前者に決まってる。
可哀想な俊哉君が熱出してるって言うし、折しもクリスマスイブだ
しね、だからご飯の材料買って駆けつけてやったのよ。
ケーキも買って来てやったのよ、食べられなかったらいけないと思
ってバナナまで用意したんだから優しいわよねえ。

「あっ。私がやるって言ったのに!」

 スーパーで買って来た骨付きもも肉達が、まな板に並んで塩こし
ょうされて、どてんと横たわっているじゃないの。
たまにはいいとこ見せようと気合入れて来たのに、風呂に入ってる
隙に準備が終わっちゃってるじゃないのよ。
私が上がるのを待っていたらしい俊哉が、手際よくフライパンを火
にかけて、しっしっと私を追い払う真似をした。

「いいよ、あかりはテレビでも見てて」
「ちょ、ちょ、ちょ待ってよ、たまには私がだね」

 ぐいぐい、ぐいぐい。
私が腰を入れて横から割り込もうとすると、俊哉がその場に踏ん張
って、両手でもも肉をガードした。

「やめてよー、触らないでー」
「気持ち悪い言い方すんなっ。私が買って来たんだからね、私にや
らせてよ」
「あかりがやったら失敗するからやだ」
「大丈夫だってば。よそ見しないし焦がさないし、あかりシェフに
任せとけ」

 揉み合いになるのを危惧したのか俊哉の奴が、いやだってば、と
まな板ごと遥か上に持ち上げてしまった。
うぬう、これでは届かないじゃないか。

「もう邪魔しないで。焦がすとか焦がさないとかじゃなくて、あか
りにやらせると散らかるから嫌なの」
「後で片付ければいいじゃない」
「それも俺がやるんでしょー。あかりが、床に落とした食べ物を黙って戻
すのもいや」

 こ、こ、細かい男ねえっ。
捨てたら勿体無いじゃないの、落としたら三秒以内に拾って戻せば
大丈夫だって知らないのかしらっ?
私がそう教えてやると、小学生ルールは知らなくてごめんねと冷た
く流された。

(くっそー)

 小学生とは失礼なっ、社会の公的ルールじゃないのよね。

 仕方ないので私は、牛乳を飲みながら後ろから俊哉シェフの動き
を、というよりも、美味しそうなチキンちゃんを眺める事に決めた。
彼らも私に焼かれるよりは、俊哉に焼かれたほうが心置きなく成仏
してくれるのは確かよね、うんうん。





 なるほど滝沢あかりはこういう子なのだ。

 例えば。
一緒に入る? と毛布を半分空けると平気でごそごそ入って来る、
その姿には警戒心というものが感じられない。
本人は周りに合わせてお姉さんぶっているつもりなのだろうけれど、
傍から言動を見ていれば、年齢に合わせた情緒面での発達が全くな
されていないのが良く分かる。
頭の中に幼児並の価値観しか無いから、恥じらいを持たないのだ。

 それを見て喜ぶ男子がどうかしている。
子供と子供なのだと、わかってる。

(わかってるけど)

 無性に腹が立つのはどうした事だろう。

(特に、こいつ)

 高木が気遣わしげに、コートの隅で着替えを始めようとしている
あかりを伺っている。
近頃高木があかりに物言いたげにしているのは、どう注意したもの
か考えているのかもしれない。
友人達に、あんたそんな所で着替えるんじゃないと怒られてもどこ
吹く風の子に、口下手の高木が言えるはずも無いだろう。

 そこで爽やか青年高木がうわと小声で呻いて頬を染めた。
黙ってボールを缶に放り込みながら加納は、無性に苛立ちを覚えた。

(なに赤くなってんの)

 上手に着替えてるし、少しお腹が見えたくらいで、なにをこいつ
は照れているんだろうと思いながらも。
異性として意識した目で見ている奴が居ると思うとやけに不愉快だ。

「滝沢」

 呼ぶ声にあかりが顔を上げる。

「俺さ、今から自販にジュース買いに行くから一緒に行こ? 喉渇
いたって言ってたでしょ」

 着替えを中断して、笑顔満面で飛んでくる。
ついでに更衣室に寄ろうと提案すると、わかったと素直に頷いてあ
かりは荷物を取りに行った。

 正面切って注意しても駄目ならこうやるんだよと加納は心の中で
高木に向けて言ってから。
あーこの子、妹っぽいから放っておけないのかもしれないと納得し
た。

 うちの小学生の妹達と、言動がそっくりだよ。





 うろうろしていたら、邪魔だからあっちに行けと追い払われた。
失礼ね、これでも手伝いをしようと思ってね、待機してるのよ。
決してにんにくの匂いが美味しそうで、離れられないわけじゃなく
ってよ。

 俊哉がチキンを皿に載せて、ローテーブルの上に並べた。
うろうろと手ぶらで付いていくのは、決して奮発したチキンに惹か
れていたわけじゃ無くってよ、お手伝いをしようと思ってね、それ
でよ。

(あー、くんくん、いい匂いっ)

 いやそうじゃなくて、自分。
びしっと手伝いをしなくてはならないのよ、今日は絶対に。

 それから俊哉はキッチンに戻って手早くご飯をよそってお盆に載
せて、お箸とコップも並べて置いて、残った手で冷蔵庫に入れてお
いたサラダボウルを出してまとめて運んだ。
そしてしつこく付いて回る私をちらっと見て、お待たせ出来たよと
にっこりしながらエプロンを脱いだ。

 わーいわーい、出来た出来た、ご飯だごはー……。

(……ちがーう!)

 違うんだ、違うんだよと言いながら、黙ってテーブルに座ってお
箸を受け取ってしかもお茶まで注がれてるけれど、違うんだ。

「もー、今日は私がやるって言ったじゃないの」

 口ではそう言いながら、サラダを取り分けてもらっておまけにド
レッシングは和風とサウザンどっちと聞かれて和風を指差してるけ
ど、違うんだ。
ティッシュまで差し出されてるけど、違うんだ。

「何なの今日は、お手伝いお手伝いって」

 さてはお年玉狙い? と俊哉がくすっと笑った。
ば、馬鹿にすんな! お年玉くらい卒業したわよ!
くれたら貰うけど同級生に貰うほど落ちぶれちゃいないわよ!

「だってさ、うちのお母さんがさ」

 お母さんに、もうちょっと自分で動きなさい、俊哉君にばかりや
らせないのと今日も言われたのよ。
近頃うちの母親は、何を焦っているのかそればっかりなのよね。

「あかりちゃんはゴロゴロしてるのが好きでしょう。俺がやりたい
んだから気にしなくていいのに」
「でもお母さんがさ、言うのよね」
「何て」

 テーブルの前に正座して、いただきますと手を合わせながら私は、
うちの母親のきんきん声風に口真似をしてやった。

「あんたね、あんまりぐうたらしてると、俊哉君が可哀想よ。この
ままじゃ愛想つかされるわよっ、俊哉君逃がしたらどうすんのよっ。
……だってさ」

 可愛い娘に向かってあんまりじゃない? とぷりぷりしながら同
意を求めると俊哉がううーんと難しい顔で唸って。

「愛想つかすならとっくにつかしてるよねえ。おばさん、今更だよ
ねえ」

 としみじみと言うんだけど、それってフォローになって無いと思
うのよね。

 おまけにさ。

「それに、うちのしつけが悪かったって言うのもあるし、俺にも責
任が無いとは言えないよねえ」

 と、しんみりして言うんだけど、それはもう、明らかに私に対す
る侮辱だと思うのよ。

 失礼な奴だな、しつけって何よ。
口調だけは柔らかいけど言いたい放題じゃないか、どこが可哀想な
んだ、虐げられてるのは私の方だと思うのよ。

 それにね、私だってやる気満々なのよ、その気になれば何でも出
来るのよ。
この、細かい小言おやじがね。
あれは駄目だー、これは駄目だー、と私のやる事にけちを付けてや
らせないのがいけないのだ。

「だって料理だって俺の方が出来るし、言うよりやったほうが早い
し。あかりちゃん不器用すぎだしー」

 むっ、失礼な、私だってやれば出来るはずなのよ。
私としてはやる気はムンムンにあるのよ、なのに母親に怒られたら
納得行かないわよねえ。

「横から取ってやらせないせいだと思うのよ、俊哉もいけないと思
うのよ」
「ほんと。俺が悪いの」
「そうだよ。私としては、来年は社会人になるわけだし、色々と自
立をしたいのよ。俊哉みたいなのは、人を駄目にすると思うのよ
ね」
「そう。ごめんねー」

 俊哉がにこにこと謝るけど、余り聞いて無いと思うのよね。
明らかにさらさらーっと流されてる感じがするのよ。

「んー……駄目でもいいんじゃないの」
「いやー、まずいでしょう、いざとなったら困るでしょう」
「いついざとなるの」

 改めて聞かれたら困るけど、いざはいざよ。
今想像も付かない非常時を「いざ」と呼ぶのよ。
その時にあかりさん使えない奴になっちゃったら嫌よねえ。

「それに、お母さんがさ」

 もごもごと私は口の中で小さく呟いた。
気になるじゃないのよねえ、愛想つかされるまで言われたら、あか
りさんだってさすがに心配になるじゃないのよ。

 すると俊哉がちょっと目を見開いて、それから。
何がそんなに嬉しいんだか知らないけどにこにこして。
いざなんて来ないよ絶対に、と言った。

「あかりちゃんを一人にする日なんて来ないよ」

 そこで加納俊哉は、お前が実はクリスマスケーキなのかと聞きた
くなるような糖度のえらい高そうな、やわやわの蕩けた笑みを浮か
べて。
俺が居るなら駄目でもいいじゃない、ね? と私に同意を求めた。

 そうかも、俊哉が居れば困らないかも……。
なあんだ簡単じゃない、ねえ?

 私が頷くと、そうそう、あかりはそれでいいのと満足げな俊哉が
何となく偉そうなんだけど。
チキンが美味しいので勘弁してやろうと私は思った。

 ついでに言うと俊哉が、幸せそうにやわやわと。
俺はあかりちゃんが大好きなのに、愛想なんてつかすはず無いじゃ
ない、ちょっと考えたらわかるでしょというので、今度考えてみる
とわけのわからない答えを返しておいた。





 滝沢あかりって、おばかな子なのかな。

 悪いけど俺は、最初はそう思った。

 うっかり妹にするみたいに後ろから抱っこして着せてしまった時
はさすがに、あ、いけないと慌てたんだけど、何も言わないし。
されるがままにぼけーっとしてるなんて、どう考えても無防備だし、
考えが無さすぎだと思う。
おまけに何を言っても、そうかそうかと頷いて信じるし。
大丈夫なんだろうか、この子、余りにもゆるすぎないか?
知らないおじさんに飴を渡されたらのこのこ付いて行きそうだ、一
人にしておいたらいけなさそう。

 単に、鎌田の彼女の絵里の友達だし、一緒に行動する機会が多か
ったし、だからついでに心配していただけだったのだけれど。

「あかり、相手したげるからこっちおいでよ」

 手招きすると、ヒッティングパートナーを探していたあかりが、
ラケットを握り締めて走ってやってくる。
その後ろに声を掛けそびれた高木がぽつんと立っていた。
あかりがガットを調整しながら、期待に満ちた目で俺を見上げる。

「一セットマッチ?」
「何セットでもいいよー」
「いいのっ?」
「うん、いいよー」

 大喜びでコートの向こうに走って、ラケットを低い位置で構えた
あかりがよしこいと、腕をぶらぶらさせた。

(元気だなあー、ほんとに子犬みたいだ)

 優しくすると好意で返して来るし、素直だし。
呼ぶと笑顔満面で走って来るあかりが、いつの間にか可愛いと思う
ようになっていた。
五月蝿い子は苦手だったはずなのに、あかりだと煩わしく感じない。
最初はあれだけ嫌だった同級生が特別な子になるだなんて不思議だ
と、俺は思った。

 打ち合う俺とあかりを、高木が遠巻きにして見ている。

(もたもたしているから悪いんだよ)

 奴には悪いけど一切近づけないことに俺は決めて、実行していた。
あかりに好きになってもらうまで、雑音に揺らされても困るし。
ガサツなマッチョ高木に影響されて、ただでさえガサツなあかりが
もっと男らしくなったら困るだろう。

 あかりはきっと、早い者勝ちだ。
勢いだけはいいけど、基本的に依頼心が強くて人に影響されやすい
あかりは、簡単に流される子だと思う。
今は常木先輩に憧れているみたいだけれど、浮ついた感情にしか過
ぎないのは見ていればわかる。
あかりみたいな甘えっ子タイプはさっさと囲い込んで逃がさないよ
うにして、大事にしていればすぐに懐いて来るだろう。
ヒヨコみたいにまっさらな今の内にインプリンティングしてしまえ
ば自分のものに出来るだろうと、俺は確信していた。

「いいよー、じゃあ負けた方がコーヒーね」

 にっこりとあかりに返しながら俺は多少の罪悪感を覚えて、それ
から。
少しわくわくしている俺ってもしかして腹黒なんだろうかと不安に
なった。

 いやいや、違うだろう。
これは男なら誰でも持っている征服欲って奴で。

 ……普通だよね?


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