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 言われなくても、わかってる。

 喉まで出掛かった言葉は反論の役に立たないから、加納は辛うじ
て呑み込んだ。
放った棘の効果を確かめたいのだろう、横顔に喰い付くような彼女
の視線を感じながら加納は横を向いた。

「チャンスが欲しいって言いましたよね」

 彼女が力強く頷くのに対して加納は、じゃあどうぞとぼそりと呟
いて、彼女に銀色の物体を放り投げた。
透明な金属音を立てて、アパートの廊下に鍵が跳ねた。
目を見開く彼女に、加納は、誤解しないでと冷たく添えた。

「みわさんが毎日付きまとうせいで、深夜に家の前で騒ぐなって大
家さんから怒られたんですよ。先輩みたいなの、世の中で何て言う
か知ってますか?」

 加納はふーとため息を吐いて、それから言った。

「ストーカーって言うんだよ。本気で迷惑」
「……ひどいこと言うのね」
「だってそうだし。自分が何やってるかわかってるんだろ。それで、
好きにさせようなんて間違ってない? どっちかって言うと、嫌わ
れて当たり前」

 無言の相手に、加納は鍵を顎でしゃくって淡々と畳み掛けた。

「持ってけよ。先輩の勝手にしていいから」
「これを貰って、本当に私が勝手にしたら、嫌いになるぞって言い
方だけど?」
「なるっていうか、もう手遅れ。うんざり」

 みわが表情を曇らせて、口を引き締めて俯いた。

(あ、泣くかな)

 相手が自分のつま先の辺りを睨んだまま額に不自然に力を入れる
のを加納は見下ろして、その時を待った。

 泣くなら泣けば、とまで言ってやりたい心境だった。
痛い所を突かれたささやかな報復をするくらい、構わないだろう。
人がおとなしくしているからと調子に乗って、何をしても言っても
構わないと思うのならば大間違いだ。

 みわが俯いたまま、ふうーん、と小さく言うのが聞こえた。

「トシって、いつもヘラヘラしてるけど。本気出せばきつい言葉も
言えちゃうのね。新鮮」

 引きつった笑みを浮かべたみわが、上目遣いに加納を見る。

「それが本性? 私だけが見たトシの真実って感じ?」
「……先輩って、馬鹿?」

 しぶとい。





 あんただって同じ事してるじゃないのよ。
あの子の性格解ってて、好きにしてるでしょう?
可哀想ねー、あかりは人がいいからねー。

(うるさいな)

 その内あかりをものに出来るだろうけどそれで満足なの? 
何も解らないあかりに強要して騙してるのと同じじゃない。それで
好きって言えるのかな――

(うるさい、わかってる)

「トシ、ねえねえ」
「なに」

 咄嗟に、無意識にきつい口調で切り返してしまって、自分でも驚
いてはっとなった。
目の前で、すっきりした一重半の目をぱちくりさせた沙耶が、腕に
手を掛けようとした形で固まっていたのも当然だろう。

「…トシ、怖い顔して、どした?」
「ううん、どうもしてないよー。びっくりさせてごめんね」

 沙耶が、ならいいけど、と微笑み返す。
それから言いにくそうに、あのね今度の約束なんだけど、とおずお
ずと切り出してきた。

「トシの家で鍋しようって言ってたじゃない。でね、私達でね、た
まにはお店の鍋食べたいねえって言ってるのね」
「うん、それでもいいよー」
「じゃあ、予約取っておくね」

 沙耶があからさまにほっとした顔を見せて、ラケットを胸に抱え
て友人の集団に戻って行った。

(あかりが渋ったか)

 嘘が吐けない沙耶の奥歯に物の挟まったような言い方に、しばら
く考えてぴんと来る。
絵里はここぞという時には逃げる子だし、沙耶しか引き受ける人間
が居なかったのだろう。

 二週間前のあれ以来、あかりに避けられてるのはわかってる。
誰から見ても分かり易いらしくて、この間も鎌田に喧嘩でもしたの
かと聞かれたばかりだ。
正しくは喧嘩、では無いけれど。

(いじめすぎたかな……?)

 十月の終わりに、あかりの振る舞いが余りにも無頓着すぎるのに
腹を立てて、つい腕を無理矢理掴まえて、嫌がる態度を取って泣か
せた。
それからあかりに、露骨に避けられている。

(まあ、わかってたけどね)

 結果は火を見るより明らかだったのに、やってしまった。
あれはつい、じゃなくて。
泣かせてやろうと思った故意の行動だった。
どちらかというと、八つ当たりに近いといってもいいかもしれない。

 あかりを見ていると、可愛いと思う反面苛々することがある。
健康的な明るさに惹かれたのに、あかりの奔放さ、無神経さに苛立
ちを覚える。
天真爛漫な、誰彼分け隔てない優しさを好ましく思ったのに、自分
に余裕が無いときは、その姿を前にすると刺々しい気持ちになる。

 ――誰でもいいんだろう、あかりは。仮に俺がほうっても。
他に構ってくれる誰かが居れば、その誰かにきゃーきゃー懐くんだ
ろう。みんなで楽しく出来ればそれでいいんだろう。

 それが良くわかるから、苛々する。
苛立って、それから、罪悪感でちくりとする。





 「納め」っていうのは、最後って意味なんだけど、私の打ち納め
は、最後だ最後だと言いつつ、三回あるわけよ。
兼部しているテニス部で一回、バイトしてるテニスクラブで一回、
それからサークルで一回。
サークルの打ち納めが本物の最後になるから、私は、お疲れ様でし
たっ来年も一本行きまっしょう! とすでに二回言って、一本締め
も二回やってるわけよ。
気分的にしまらないわよねえ。

 私達四年生は部活もサークルももう引退しているんだけど、年末
の打ち納めはOBも来る大きな行事だから、久しぶりに揃って参加
していた。
部費で酒を持ち込んで、みんなでお汁粉食べるのよ。
こりゃあ出ないと損だわよ、寒いグラウンドで食べるお汁粉は格別
なんだから。
暖かいポン酒も美味しいけどね、じゅるっ、あー楽しみー。

 食い気でぱんぱんに膨らみきっていた私の期待は、当日見事に台
無しにされた。
今日の宴会、もとい打ち納めを睨んで酒断ちまでして、甘味も我慢
していたのにどうしてくれるのよって言いたいけれど、誰しも参加
する自由はあるのだから何も言えない。

 みわ先輩が来ているのを発見して私の食い気なんてパーン! と
弾けて飛んでしまったわよ。
それでお汁粉二杯おかわりしたら十分だって? こらそこ、私は四
杯は行くつもりだったんだから、心中のほどを察してよね。
半分よ半分、年末半額セールじゃあるまいし冗談じゃ無いわよ。

 一昨年卒業して、けっ、やっとせいせいするわと思ったのに、O
Bの集団に混じって年に一二回はやって来るの。
それでさ、すーっと寄って来ては私にいけずをして帰るのよ。
かつての恨みを覚えていてちびちびと晴らしているとしか思えない
わよね、何て執念深い女だっ、みわめーっ。

「あかり、眉間にしわ」

 絵里がぐにっと私の眉間を突いた。
むむむ、眉の奴が勝手に寄って居るのよ、持ち主の意志に反して…
…いや、本当は反してないけどさ。
彼は誰より忠実に、任務を遂行している所なのだけどさ。

「寒いせいですヨ、ええ。寒いデスヨネ、シバレマスネ」
「何言ってんだか。真冬でも調子出ると半袖ハーフパンツで走り回
るあかりが」

 絵里が私の棒読みを一蹴して、ぐにぐにと額を突く。
やめてよ絵里、あんたそんな意地の悪そうな顔で人をからかって恥
を知るがいい。

(くーっ、あの寝ぼけ侍がっ)

 ニヤニヤデレデレしてるんじゃないっ……というか、それは地顔
か、いつも半目でヘラヘラしてるもんね。

「誰か打とうよ。……おっ、暇そうね、堀田。打ち納めやるか」

 私はお汁粉のプラスティックのお椀をゴミ袋に放り込んで、一年
の初心者の後輩を指名してラケットを振り回した。
勘弁して下さいよーっ、と堀田が悲鳴を上げながらラケットを握る。

「あかりちゃん先輩に勝てるわけ無いでしょ!」
「情けないなーあんた女相手に何言ってるのさ。勝てとは言わない
が、いいとこまで持って行こうと思わないの」
「思いません。無理です!」
「黙れ根性無し。びしっと練習つけてやるから来なさい」

 先にコートに入って、私はウォームアップウェアを脱いで放り投
げて、さむーっ! と叫んで体を両腕で抱えた。
さ……さすがに12月の終わりに半袖はきついわ。

 とんとんジャンプして体を暖める。
私はもう、サーブに意識を集中していた。
考えたってしょうがないことをいつまでも抱えるのは性に合わない
んだよねー、あかりさん栄養は全部筋肉にくれてやってるしさ。
頭使ったらショートしちゃうわよね、。

 お前ら元気だなーとギャラリーがニヤニヤして、日本酒をちびち
びやりながら私達を観戦している。
このクソ寒いのに座ってる方が体に良くないわよ、年寄りどもめ。

「よおーし、一年男子全員来なさい」

 この際全員やっとくかねえと私がにまっと笑うと、堀田が、女じ
ゃねえ! と叫んだ。
む、生意気な、堀田は念入りに面倒見てやるわよ。


「相変わらずねーあかりは」

 俺はみわ先輩に、そうですねーとだけ返して、自分のお汁粉を平
らげるのに専念した。

「あかりは面倒見いいですし。一年を良く構ってますね」
「ふーん、いっちょまえー」

 肩まで伸ばした髪が風に嬲られるのを手で抑えながら、みわさん
が可笑しそうに肩をすくめた。
OL風のそつの無いメイクで、小奇麗なスタイルにまとめているみ
わさんは相変わらずきれいな、ちゃんとした女の人だ。
ちゃんとした女の人という表現はおかしいかもしれないけれど、あ
かりを見慣れているとそう感じる。
会社でも可愛がられていそうだし、言い寄って来る男にも困ってな
いだろう。

 この人、一体俺のどこが良かったんだろう。
あらためてまじまじと眺めていると、今更ながらに不思議でしょう
がない。

 俺は特別もてる方じゃ無いし、はっきり言って格好良くも無いし。
自分を卑下するつもりも無いけど、みわさんみたいなきれいな人に
執着される何を持ってるわけじゃあない。
昔付き合っていた横田さんみたいな、目立つタイプの格好いい男の
人のほうがずっと、みわさんには合っていると思う。

 一人で世間話をするみわさんに適当に返しながら、あっち、行っ
てくれないかなあと密かに俺。
あかりの機嫌が悪くなるのがわかっていてやってるんだろうな。
人の事言えた俺じゃないけれど、この人、相当屈折してるよな。

 みわさんはたまに来て気儘にかき回すのが楽しいのだろうけれど、
俺の身にもなって欲しい。
後であかりのご機嫌を取るのは大変なんだから。
とりあえず、焼肉に連れて行かさせられるのは決定だ、あかりは喰
うんだよなあ。

 みわさんが揃えて立てたパンツの膝にあごを載せて、俺を覗き込
んだ。

「邪魔臭いなって顔してる」
「そんな顔、して無いですよー」

 俺は俯きながら答える。
嘘ばっかりとみわさんが唇を尖らせてから、あ、さては俺にまだ気
があるなと思ってるわねこの勘違い野郎、と俺の横腹を突いた。

(思ってねえよ)

 げっそり。

 駄目だ、この先輩の押しの強さにはとても勝てない。
開き直った人間ほど強いものは無いんだ。

「言っておくけどね、彼氏居るし。トシに未練があるってわけじゃ
無いからね」
「わかってますよ」

 俺は相変わらず俯いたまま答えた。
手に持った空のお椀を捨てに行こうか、それとも、おかわりをしよ
うか。
どちらでもいいから、この場からさりげなく逃げられる方法を考え
ていた。

 もう何年も経っているし、未練があるとは思ってないけれど。
全く何とも思わないというのも、恐らく、少し違う。
それはみわさんなりの、精一杯の気遣いと矜持なのだろう。
人間は、自分のものにならなかった相手には強い気持ちが残る。
片思いのまま終わった相手や、振られた元の連れ合い。
手が届かなかった相手ほど印象に残るものじゃないかと思う。
例え次に誰かを好きになったとしても、しばらくは何かしらの複雑
な感情を持つのが人の心理なのじゃ無いだろうか。

 それが何となく伝わるだけに、流れる空気が気まずい。
こんな時、同じサークルだと逃げようが無いから面倒だ。
表面では普通にしながらも、お互いが微妙な気の遣い合いをしてい
たから、みわさんが卒業した時は正直言うとほっとした。

 それでも、きつい言葉で追い払えない俺は、優柔不断なのだろう
か。
別に、調子に乗っているわけでも、いい気になっているわけでも無
いけれど。
気を抜いた拍子に、どこか伺うように見る彼女の胸中を思うと、あ
くまでさりげなく敬遠出来たらと思ってしまうのだ。

 話しかけても徹底的に無視され、口を開けば迷惑としか言われなくて
も、それでも懲りずに付きまとい続けたこの気丈な先輩が。
好きになれなくてごめんなさいと謝った俺の前で、初めて顔を覆っ
て号泣した時に、可哀想なことをしたと思った。

 わかっていてもままならないって時は、誰にもあるものだ。
俺にはその気持ちが良くわかる。

 どうしてもこの人がいいのだと、後姿を見つめるもどかしさ。
何がなんでも振り向いて欲しい、例え気持ちのベクトルがずれてい
ても構わない。
お互いの気持ちを秤の両端にかけたら、それが自分の方に激しく傾
くとしても、それでもいい。

 病気みたいなものだ。
異性同士が密集する場所では特に頻発する、自分ではどうしようも
ないはやり病なのだろう。

 気まずいし、面倒臭い、それでも収まらない厄介な病気。





「うおっしゃ! 次来い次!」

 二人目の後輩を下したあかりが、疲れの微塵も感じられない勢い
のいい歓声を上げた。
関東学生ベストまで行って、ランキングアップを睨んで本格的なト
レーニングをしているあかりに、一年足らず軽くやっていただけの
後輩が敵うはずが無い。
あかりは多分、卒業が近いから、後輩への最後の置き土産のつもり
でレッスンをつけてやっているのだろう。

 来年あかりは、今のテニスクラブに正社員で就職することが決ま
っている。
年を取って出来る仕事かというと難しいだろうし、潰しも利かなさ
そうだ、一体この先どうするつもりなんだろう。
ある日突然、昨日誘われたからあそこに就職しようかなーと言い出
した時は、もう少し考えたらどうかとさすがに言いたくなった。
俺にはとても考えられない適当な選択の仕方だと思う。

 俺がしっかりしないと困るよなあ……。

 就職が決まって新しい展望にツヤツヤに輝いているフレッシュな
時期のはずなのに、早くも、もう一人の人生までずっしり背負って
考えなきゃならないとは。
俺はもしかして、酔狂な苦労性なのかもしれない。

 ……気がつくのが遅い?

 当のあかりは、ぼけーっと仕事を決めて、のほーんと過ごして、
日々楽しそうで実にうらやましい。
あかりには俺の気苦労も、全く関係無いからお気楽なものだ。
あかりを羨ましく感じるのは、相当疲れが溜まっている証拠に違い
ない。

 こんな時に、ベクトルと重さの、お互いのずれを理不尽に感じる
のは、俺の身勝手だろうか。
追いかけて、振り向かせたまではいいかもしれないけれど。
結局、気持ちの重い方が負けなんだ。

 負けてもいいけど、それは構わないけれど。

(あかりって、こだわらなさそう。誰でもいいんだろうなあー)

 まあ、いいけどね……。初めからわかってたことだし。


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