HOME雑記BBSメール拍手
backノベルTOPnext

テリトリー第二話 1

 ショーケースの中のケーキは、宝石みたいに綺麗で、選ぶ過程か
らわくわくする。
色とりどりのゼリーに飾られたタルト、季節の果物や野菜を使った
ムース、それから定番の苺のショートケーキやプリン・ア・ラ・
モード。
私は腰を屈めて何にしようかしばらく悩んで、今日は、紫芋のタル
トをいくつかと、それからチーズケーキにしようと決めた。

 顔馴染みになった店員が、てきぱきと私の注文をシルバートレイ
に載せてくれる。
最後に思い立って私は、追加でもう一つ注文する。
箱に入れられてリボンのかかったそれを受け取って、私はそのずっ
しりとした重みに、今日もささやかな満足を覚えた。

 就職をすると決めてから四ヶ月。
あれから私は、方々を当たって面接を受けた。
そして、社会の厳しさを知って打ちのめされそうになった。
短大を出て、就職活動をせずに親の元で家業手伝いをしていた私は。
世間の企業の人事の人には、遊んでいた甘ったれのお嬢さんに見ら
れたみたいだった。
実際、何かスキルが有るのかと聞かれれば何も無く、資格も無い。
親と一緒に住んで、自宅に有る事務所でのんびりと仕事をさせても
らっていた私には、外で通用する特技なんて一つも無かった。
真っ白の履歴書を眺めて、ため息を吐く日々。
自分が何も出来ない世間知らずなのだと、つくづく思い知った。
それだけでも今回は価値が有ったかもしれないと諦めかけた時に。
父に、まずは派遣登録から初めて見るのもいいかもしれないと、ア
ドバイスを貰ったのだ。

 そして、私は何とか短期契約の派遣事務の仕事に就く事が出来た。
派遣先に勤務する前に研修を受けて、ちょっとした勉強もさせても
らえた。
先月その初任給が出て以来私は、ついつい浪費をしてしまっている。
近頃はまっているのはここのパティスリーだ。
職場から駅に向かう途中にあるここで、家にお土産に買って帰った
り、人にあげるケーキを選んだりしている。
ここのケーキはほとんど全部食べたのじゃないかと思う。
自分でも少し浮かれすぎかなと思うし、お陰で近頃スカートがきつ
くなった様に感じるので、そろそろ財布の紐を引き締めないといけ
ないだろう。

 初めて外で働いたお給料で買い物するのが楽しくてしょうがない
だなんて……まるでアルバイトを覚えたてのティーンみたいで、ち
ょっと恥ずかしいけれど。





 エレベータが開いているのを見つけて走りこんだ私は、中で扉を
抑えてくれている見知った顔に、あ、と声を上げた。
それからケーキを傾けないように注意しながら軽く会釈をする。

「やー、調子どう?」

 片頬をやさぐれた風に歪めて親しげに片手を挙げる彼に、私は、
普通ですと、何が言いたいんだか自分でも分からない答えを返した。
でも、調子どうという挨拶自体が意味が無い上っ面の物なのだから、
発した相手にも責任が有るんじゃ無いかと思う。

「修平さんは、どうですか」
「んー、俺? 絶好調」

 修平さんは親指でボタンを三回押す真似をしてにっと笑った。
彼が動いた拍子に、レザーのジャケットから濃密な煙草の匂いが立
ち昇って、私はうっと息を詰まらせた。

(スロット帰りね……)

 趣味、スロット。
煙草はラーク、車はダットサンとかいうピックアップトラック。
二十年前のオンボロ車を自分で塗装して乗っているらしい。
聞いた話では、とても走るとは思えない揺れっぷりを見せるのだそ
うだけれど、本人はお気に入りでご満悦なのだとか。
ネクタイをしている姿はほとんど見た事が無い、外回りの時はする
らしいけれど、事務所に戻ったらすぐ外しちゃうらしい。
だからいつも、修平さんはだらりとボタンを開けている。
事務所では咥え煙草でくだらないジョークを飛ばしていて、それが
また、極め付けにつまらないのだ。

 『いかにも』だ。
いかにもな感じの人だ小水内修平と言う人は。

 いかにも感でこの人が損をしているのか、得をしているのかわか
らないけれど。
とにかくいかにもちょっとやさぐれオヤジ、な人なのだ。

 エレベーターボタンの盤面を前にして修平さんは、相変わらず癖
が直らないのか、つるりとしたあごを撫で上げている。
あれから面倒だと髭を生やさなくなったみたいだけれど、十年以上
そこに有った物だから、きっとまだ落ち着かないのだろう。

 斜め後ろに立つ私を、修平さんが横目でちらりと。
視線に私が顔を上げると修平さんは、お、と今にも言い出しそうな
おどけた表情を作って、前を向いた。

「何か?」
「や、何でも無い」

 人差し指であごをいじりながら、修平さんは「開」ボタンを左手
で押して、私に先を譲ってくれた。

(変なの)

 就職してから、父の仕事の手伝いは徐々に減らしていた。
元々、父一人でも十分対応可能な程度の業務内容で有ったのだ。
新しい人を探すまでの間だけ、私が勤務の合間を縫って外回りを請
け負っている。
すでに新しいエージェントとの契約も済ませていて、後は何度か、
書類を持って来たりする程度の用事しか無くなっていた。

 もうこれからは、自然に遭える機会も無くなるのだろうなあ……
と思いながら私は、修平さんの横を抜けて廊下に出た。

「ただいまーっす」

 修平さんがだらしない挨拶をしながら私を抜き返して事務所の奥
に入って行く。

「あら、香奈枝ちゃんいらっしゃい」

 コーヒーメーカーの前に立った社長が振り返って、私に気さくに
声を掛けて来た。
もうほとんどの社員は退職しているらしくて、今この事務所に残っ
ているのは、修平さんと、社長と、準社員が一人だけなのだそうだ。
外回りの仕事も減って来たのか、ここに来ると社長と顔を合わせる
機会が近頃増えた。
私としては、少々気詰まりであったりする。
悪い事をしたわけでは無いけれど、彼女の昔の夫と……いたしてし
まった……わけだし、何となく、顔を合わせづらいのだ。

 とは言っても、私と修平さんの間にはあれから何の進歩も無いの
だから、私の気にしすぎなのだろうけれど。

 全く変わりなく私と彼は、エージェンシーの社員と顧客の関係で
しか無い。
たまにここで顔を合わせて、一言二言口を利くだけの関係だし、私
は、彼の携帯番号が入った名刺だって捨ててしまった。

 それでいいと思っているし、それで良かったと満足している。
もともとそのつもりだったのだから。

「マジで絶好調、やっぱり豚美ちゃんにお願いするといい事あるね。
五円でご縁が有りますよーに、ちゃりーんってよ」
「あそ、良かったね」

 修平さんが興奮気味に報告するのを冷淡に受け流して、社長がマ
グカップとティーセットをお盆に載せる。
そして彼女は私に向けて、応接セットを目線で指し示した。

「あらありがとう。コーヒーも入った所だし、いいわねえ」

 私が差し出したケーキの箱に満面の笑みを浮かべて、彼女はソフ
ァに腰を下ろした。
私は正面に陣取って、彼女が開封する横から覗き込んでケーキが駄
目になっていないか確認する。

「私から選んでいいの? じゃあ……チーズケーキにしようかしら。
香奈枝ちゃんはどれ? かぼちゃのプリン? 好きそうよね」
「あ、それは」

 オレンジの陶器の容器に入ったあそこのプリンは、私も好きで良
く食べているけれど。
今日は、自分用に買ったのでは無いのだ。
口ごもる私に、ああー、もしかしてと社長。

「ねえ修平。香奈枝ちゃんがあなたにプリン買って来てくれたわよ。
こっち来て食べなさいよ」

(……社長、察しがいい……)

 さすが元妻。
……は関係無いにしても、修平さんのプリンだと、良くわかったも
のだ。
彼はプリンが好きみたいで、いつもコンビニで買ったビッグプリン
をぱくついているから、ふと思い立って買ってみたのだ。
歓心を買おうと思っているのでは無いけれど、甘党の修平さんがプ
リンを食べてる姿が、ちょっと可愛かったので。
それが見てみたい……なんて。

「あー? 俺いらねー、お前らで喰えよ」

 修平さんがオフィスチェアに座って、足をデスクに投げ出した姿
勢のまま答えた。
その膝には、漫画雑誌が乗っていて、彼はそれを読みふけっている
みたいだ。
何を読んでいるのだろうとじっと観察していると、彼は巻頭の袋と
じを手で押し開いて、ニヤニヤしながら下から覗いているみたいだ。

(うわ、サイアク)

 私は心の中で、あなた男子高校生ですかと突っ込んでしまう。
いいオジサンの修平さんがやると、嫌らしさ倍増だ。
それから鼻の下を伸ばしただらしない表情で、彼は手でびりびりと
グラビアページを破っている。

 あー嫌だ、やっぱり修平さんのこういう所は好きになれない。
目の当たりにすると、幻滅してしまう。

「ところでお宅はもう、落ち着かれたかしら」
「あ、はい。新しい事務所でも、良くしていただいてます」

 気遣わしげな社長の声に前を向いて私は、安心させようと、笑顔
を見せた。
社長がほっとしたように、良かったわと私に笑みを返す。
彼女の斜め後ろで、チェアをぐるぐる回しながら修平さんは、袋と
じの中身に顔を寄せてすげーすげーとしきりに興奮している。

「すげー爆乳ー」

 再び、最悪……と私は心の中で呟いた。





 空になった取り分け皿を重ねて、小水内晴美は、残ったケーキを
数えて箱に収める。
冷蔵庫に向かおうと立ち上がった彼女は、通りすがりにジロリと、
終始青年漫画を読みふけっていた中年男に冷たい視線を送った。
晴美の咎めるような態度に気がつかないふりをして、修平はラーク
を大げさにもうもうふかした。
足で机を押しながら彼は、椅子をゆらゆら揺らして伸びを一つ。

「そろそろ帰っかな。残務処理しかねーから遊んでるようなもんだ
しなー。暇だねー」
「あなたね、いい加減にしたらどう。香奈枝ちゃんに対しての態度、
見てて苛々するんだけど」

 付き合いの長い元妻には、彼の浅はかな誤魔化しなど、元よりお
見通しだ。
彼女は迂遠な言い回しをあえて避けて、いきなり核心から入った。

「何なのよあんたは、さっきだって。香奈枝ちゃんはね、多分あん
たがプリン好きだからって、わざわざ買って来てくれたのよ、あん
た用に。いらねえじゃないでしょ、可哀想でしょ」
「だっていらなかったんだもーん」
「だもーんじゃねえよ、気持ち悪い」

 後頭部にゲンコツの実力行使で一喝されて、修平がいてっ、と
首を横に倒した。
頭をさすりながら修平が背後の晴美を仰いで、口の悪いDV女めと
精一杯の反撃を繰り出すと、晴美は鼻でそれを吹き飛ばした。

「あんたと私は他人。DVとか言わないでくれる馴れ馴れしい」
「昔はこんな冷たい女じゃなかったのに」

 くすんくすんと鼻をすする真似をして修平が膝を抱える。
晴美は前に回って、腕組みして仁王立ちで修平を睥睨した。

「全く。見え見えなのよ。香奈枝ちゃんを避けてるのが」
「避けてねーよ」
「分からないとでも思ってるの。香奈枝ちゃんが来ると、彼女が嫌
がりそうな下品な言動をわざとしてるでしょ。寄って来ないしさ、
わざと距離置いてるしさ。……まあ、あんたの考えそうな事は読め
るけどね。はっきり言って意識しすぎ」
「るせーな、してねえよ」

 修平がぶちぶちと小声で、お前に関係ねーだろと一言。

「気遣ってんだよ、一応。意識するとしたらあっちだろ。それじゃ
困るだろ。だからさ、余り夢を抱かせちゃいけないだろうとだな」
「何を支離滅裂な言い訳してんのよ。要はあんたは、一回寝ちゃっ
て、その後どう接したものか困ってるんでしょ」
「ちげーって。俺みたいなナイスガイに惚れたら火傷するだろ。俺
は大人としてだな」
「なーにがナイスガイ。この永遠のエセ少年がっ」

 ぽかっ。

 修平が頭を抑えてラークを咥えた唇の間から、唸り声を漏らした。

「てめー人の頭を気軽に叩くんじゃねーよ」
「頭に来てるのよ。きっと香奈枝ちゃんはがっかりしたわよ。あん
たにと思って買って来たのにさ。あんた一体いくつよ。いまどき小
学生だってもっとましな態度取るわよ」

 晴美は一気にまくしたててから、まあ、わからないでも無いけど
とそこで息を吐いた。

「このまま香奈枝ちゃんと何事も無く終わらせたいって気持ちはね、
わからないでも無いわよ」
「そうだろ、そうだろ。大人の配慮ってやつ……」
「私だってさあ、あんたが香奈枝ちゃんに手をつけたと知った時は、
古畑先生に申し訳なくて目の前が真っ暗になったわよ。飼ってる雑
種犬がよその血統書付きに種つけしちゃったような気分よ、言うな
れば」
「お前それ随分な」
「だってそうじゃない。ヤクザな暮らしでフラフラしてるスロット
オヤジよ。それがあんた、大事に育てた娘とどうにかなったら、私
が先生なら刀持って押しかけるわよ」

 ああーっ、ほんと申し訳ないと晴美が頭をぐしゃぐしゃ掻き回す。
修平は言い返す気力を失くして、口を尖らせて黙りこんだ。
未だかつて晴美と言い争って勝った試しは無いのだから、無駄な努
力なのだ。
そこで晴美は顔を上げて、びしっと修平を指差した。

「でもそれとこれとは別問題よ。香奈枝ちゃんがそれとなくあんた
を気にしてるのはわかってるでしょ。このまま曖昧な雰囲気で疎遠
になろうなんて、感じ悪いと思わないの」
「思わねーよ、それでいいじゃん」

 修平が椅子を起して、ペン立てを手に取る。
見守る晴美の前で、彼はペン立てから耳かきを引っ張り出して、先
を指で軽く撫ぜてから、耳に突っ込んだ。

「成り行きでやっちまうなんざー誰にでもあるだろ。そのまま縁が
無くなるのだって普通だろ。何を青臭い事にこだわってんだよ、お
前らしくも無い。どうしてくっつけたがるわけよ」
「別に……くっつけようとしてるんじゃ……ただもうちょっと、相
手してあげればって思って……」

 晴美が何故かそこで口ごもる。
修平は、あー、ごくらくーとだらしなく口を開けて、耳をほじりな
がら。

「そりゃあ俺も迂闊だったけどさ。悪いけど、あれっきりだろ。年
いくつ違うと思ってんだよ、本当なら妙な気になりようが無いんだ
って。あの子だって、俺よりか全然いい野郎がいるってすぐ気がつ
くだろ。その方があの子のためだって」

 ふっと耳かきの先を吹いて修平。

「お前はさー、自分の事だけ考えてりゃいいんだよ。そろそろ引越
しの準備してんの?」

 見上げる元夫に晴美は頷いた。

「一人だから、身軽よ。事務所の始末も無いしね。……本当にいい
の? 頼んじゃって」
「だから、いーって。後はこっちで適当にやるから。お前はとっと
と行きゃいいの。つか早く消えろようっせーから」

 修平が軽い調子で、冗談めかしてそう言って手を振る。
それから修平は耳かきを戻して、今度こそ帰るかなと立ち上がった。

(ほんと、お人好しなんだから)

 晴美は車のキーを片手に事務所を先に出る修平の後姿にそう呟い
た。



 それでいいと、思いながらも。
でもやっぱり。

 このまま、修平さんと正面から言葉を交わす事無く終わってしま
うのは寂しいかなあと思ったりもする。

 こっそりと盗み見る修平さんは変わらず、私にはちょっと苦手な
感じの所が有る人で。
どうしたって、合わないタイプの人だし、向こうだってそう思って
いるだろうとわかってはいるのだけれど。

 でも、修平さんが居るかどうか私は探してしまうし。
居れば、目の端で彼の一挙一動が気になってしまうし。

 好き、なのだろうか。

 気の迷いなのだろうか。

 それさえも見極めないままにこのままお別れしてしまえば後悔す
るんじゃないかなと、そう思うのだ。


ページトップ
backノベルTOPnext
HOME雑記BBSメール拍手