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テリトリー第二話 3

「俺もそうだったな。最初に貰った給料で気持ちがでかくなって
なー、仲間と飲み歩いたもんだよ。んで、一週間も経たずに金無く
なって先輩んちに転がり込んでさ」
「実家に帰らなかったんですか」
「高校卒業して田舎から出て来たんだよ」

 そこで修平さんは、やけに大事そうに古びたドアを一撫でした。

「こいつ、その先輩に譲ってもらったんだよ。だせーオヤジ車じゃ
ねーかと思いつつ嬉しくてさ。乗り回してて、気が付いたらここま
で来ちゃったんだよ、で」
「修平さんって」

 私は、彼の言葉を遮ってしまったとすぐに言葉を引っ込める。
修平さんがどうぞと何度か薦めてくれるので私は、再び口を開いた。

「修平さんって。すっごく都会的でおしゃれな人だってイメージだ
ったんですけど。時々、そうでも無いかなって感じがします」
「何それ。褒められてるのかしらアタシ。それともけなされてるの
かしら」

 咎める色はそこには無く、むしろ修平さんは私がどう出るか面白
がっているみたいに、にやにや笑いながら切り返して来た。
私は自分が悪いほうにしか取れない言い方をしていたと焦ってしま
って、補足しようと考えを巡らせる。

 どう言ったらいいんだろう。

 困ってる大家さんの為にあっさりと高い事務所を借りてあげちゃ
えるような所は、きっぷはいいのかもしれないけれど。
正直言うと、お世辞にも常識的とは言えないだろう。
まともな計画性を持つ大人だったら誰だって呆れると思う。

 でも、寝入りばなにタクシーがわりに呼びつけられても、何も言
わずにボサボサの頭で来てくれて。
それなのに車がボロイとか、酔ったとか乗り心地が悪いとか、失礼
な事を言われたって。
修平さんは暖かいココアを渡して、具合が良くなるまでの間小娘の
ささやかな話に耳を傾けてくれるのだ。

 自分が人にどう映るかなんて気にせずに、ごく自然に人の事を優
先出来てしまう、優しい修平さん。
おどけた調子のいい外向けの姿の奥に彼が潜めている、どこかほっ
こりとした垢抜けなさが、私はとても。

 ……うん、そう。

(やっぱり、そう)

 修平さんの、外向けの。
ちょっと遊んでる風のそつの無い所じゃ無くて、こういう所が私は。

「やっぱり、好きみたいです。どっちなんだろうって思ってたけど、
どっちかって言うと、好きみたい」

 ドリンクホルダーにココアを置いて私は、修平さんに向けてそう
脈絡も無く告白してから、あ、と口を抑えた。

(何言ってんの私!?)

 頭のてっぺんからすーっと血の気が引いていった。
体は強張り、心臓は縮みあがり、空気までもが冷え切ってしまった
中で。
まるでそこに血流が集中したみたいに、顔だけが急激に火照りだし
た。

「ほ」

 修平さんは口をすぼめて、何度か頷いて。
口を開こうとしながら首を傾けて、ほー、と、また訳のわからない
言葉を吐いて、口をすぼめた。

「そりゃー……最大級の褒め言葉、と受け取るけど」

 修平さんは目を左右に彷徨わせて、ぼさぼさの剛毛を乱暴に掻い
た。
ぱっと見はフケが落ちて来そうな程にみすぼらしい有様だけれど、
彼の手の動きに合わせて、ふわりと清潔な香りが車内に漂う。
修平さんの使っていたシャンプーの匂いだ。

「すみませんっ」

 慌てて私は前を向いて、ココアを飲み干した。

「本当にすみませんっ」

 あの時と同じ飾らない修平さんと、一度だけの夜を思い起こさせ
るトニック似た香りに私の中の時間軸が惑って、引き戻されてしま
ったのかもしれない。
幻滅したり、いいなと思ったり、揺れているのに。
自分でも把握出来ていない感情を持て余しているのに、何を私は先
走っているのだろう。

「……今のは、何でもありません。忘れて下さい。っていうか、忘
れて欲しいので、聞かなかった事にしてください」

 私は手で車のキーを示して、もう平気ですから出発しましょうと
彼にお願いする。
修平さんは曖昧な表情で頷いて、体を前に向き直らせて右手をハン
ドルの下に潜らせた。

 車内に、沈黙が訪れる。
私は露骨過ぎない程度の微妙な角度を作って、修平さんから顔を逸
らした。

 どう思っただろう、修平さんは。
唐突な私の告白に、困っただろうか、迷惑に思っただろうか。
やっぱりあの日、追い返せば良かったと後悔しているかもしれない。

 でも、按配のいい事に。
この場さえやり過ごせば、私達が会う機会はもう無いだろう。
恥ずかしさの余り逃げ出したい一心になっていた私にとって、それ
だけが救いだった。
きっと修平さんも同じ思いだろう、私から聞かなかった事にしてく
れと言ったのだから、このまま私を降ろしてしまえば面倒ごとは片
付くと、そう考えているに違いない。

 駆け引きが上手でなければ気軽な関係を人と続けたり出来る筈が
無いのだから、何事も無かったように振舞ってかわす事など彼にと
ってはお手の物だろう。

 外を見ている風を装いつつ、私は窓ガラスに映る修平さんの様子
を観察する。
修平さんは、運転に集中しているみたいだった。
あの夜以来ずっとつるりとしたままの顎を指先で擦りながら、片手
でハンドルを操っている。

「あのさ」

 信号待ちをしながら修平さんは、新しい一本に火を点けた。

「俺とさ、香奈枝ちゃんは。きっと合わないよ」
「……合わないですか」
「うん」

 そうですか、とだけ言って私はココアをもう一口。
修平さんは、かわいいけどね、と私を見てにっこりした。

「香奈枝ちゃんはさ。でもそれは、頭撫でちゃいたいよオジサンっ
ていう意味の可愛いであって。それ以上でもそれ以下でも無いし。
それ以外の対象では見られないし」
「はい」
「そゆこと」
「合う合わないって、何でわかるんですか」

 修平さんの、これでおしまいと言いたげな口調に、私は無性に腹
立ちを覚える。
聞かなかった事にしてくれって言ったのに、わざわざ修平さんの方
からその話題を引っ張って、止めを刺さなくたって。
そんな上から見たような言い方しなくたって。

 修平さんは、わかるよと答えて、ラークをぷかりとふかした。

「だって、角度が違うからね、俺と香奈枝ちゃんでは」
「角度?」
「そー、角度」

(意味、わかんないし)

 眉間に皺を寄せて私は彼をじっとねめつけた。
修平さんは煙を吐き出しながら、わかんないだろ、とくすりと笑っ
た。

「あやふやな言い方されるの嫌いだろ、香奈枝ちゃんは白か黒。ん
で、俺は混じっちゃってわけわかんない灰色オヤジ」
「……やっぱり、わからないです」
「うそ、わかんない? 俺説明下手すぎ? ごめんねーおじさん頭
悪いんだわー」

 そこでガラスに映る修平さんは煙を吐き出して、片頬を歪めて苦
笑いを漏らした。
呆れてる風でも無く、馬鹿にしてる風でも無く、ああそうだろなっ
て言いたげな訳知り顔だった。

「香奈枝ちゃんみたいなピチピチヤングギャルに褒められるなんて
オジサン嬉しいね。俺も捨てたもんじゃねえなあー、若返っていっ
ちょやるかって気になるけどねっ、ははっ。ありがとねー」

 それで締めたつもりなのか、修平さんはイヒヒと歯茎を見せた。
今時誰も使わないだろうスケベな死語を彼が使うと、素で寒い。

 私は彼のオヤジギャグを受け流しながら、軽い幻滅を覚える。

 それから、私に見られている事に気が付いて無いであろう修平さ
んの表情をガラス越しに見ながら、自分が今まで幻滅だと思ってい
た感情の正体が、正確には少し違うのだと思った。

(……わざと。だ)

 顎を気持ち上向かせて、薄く開けた、ぽてっとした唇の間から煙
を吐き出すガラスの向こうの修平さんは、口調に反比例して場慣れ
て落ち着いて見えた。
煙を避けて細められた彼の目尻には、日焼けと年月が作った表情豊
かな皺が深く刻まれている。

 私は揺れるオンボロ車が、自分が生きて来た年月と変わらない時
間だけ彼に乗り回されていた事や、私がランドセルを背負っていた
頃にはすでに彼が結婚して、離婚まで経験した人であった事実や。
離婚した奥さんとまさしく灰色の関係を保ちながら、同じ職場で働
いて来たのだという事や。
彼が本当は、私の二倍近い年齢を生きている男の人だということを、
急に意識し始めた。

 冷え切ったココアを飲み下すと、それはやはりどろりと喉に引っ
かかって、不味かった。





 きっと、彼にとっては鎧みたいなものなのだ。

 修平さんの、おどけた口調や、世慣れた下卑た話題や、人を緊張
させない気さくな振る舞いは。
外に対する、彼一流の見えない鎧なのだ。
彼はそれを巧妙に計算して、他人に向かって作ってのけている。

 今それは牽制する壁となって立ちふさがり、私をやんわりと弾い
ている。
私は、彼の好ましくない振る舞いを目にする度に幻滅して、と同時
に、疎外感を覚えていたのだ。

 ……この人はずっとずっと経験豊かな男の人で。
言葉では無く態度と巧妙なさじ加減で、私を遠ざけられる大人で。
けれども年下の小娘に威圧感を与えないために自分を下げたって構
わない、そんな自負と余裕がある人で。

 私が見た修平さんは、きっと全部が彼自身なのだろう。
彼の引き出しはきっと、私よりもずっと多いのだ。
単純な私には理解出来ない灰色の価値観を彼はすでに持っていて、
だから私とは合わないし、だから幼すぎる私を異性として見てはく
れないのだ。

 敵わない、と、思った。

 そうと悟らせてもらえなかった程に彼は。
私には手に負えない、ずっと年上の男の人なのだ。





 晴美は名残惜しそうに事務所を見渡して、そろそろ行くわ、と元
夫に一声かけた。
おー、と振り返りもせずに雑誌を読みふける修平。

「ここをよろしくね。それから小池も」

 結局、新しい職場を見つけられなかったと言う準社員の青年を見
兼ねて何の展望も無いままに引き受けた修平は、全くゴミ処理もい
いとこだとぼやいてから、再びおー、と一言。

「そういえばね、香奈枝ちゃんが」

 途端に素早く耳を塞いだ修平につかつかと歩み寄って晴美は、彼
の耳に大声で流し込んだ。

「派遣契約が切れるんだけど、新しいところが見つからないって困
っていたわよおー!」
「るせーよっ」
「可哀想ねーっ! この不況じゃなかなかいい所も無いだろうし
ねーっ! 落ち込んでるかもねーっ!」

 両手を掴んで強制的に開かせる晴美を振り払って、堪り兼ねて修
平は、椅子ごとシャカシャカ遠ざかろうとする。
オフィスチェアのビニール貼りの背を晴美がわしっと掴んだ。

「あなた何逃げてるの。仕事が決まらないみたいね、って世間話し
てるだけよ。なーんか、困ってるみたいよー」
「だーっ、聞かせるなそれを俺に!」

 修平が再び耳を塞ごうとする。

「苦手なんだよ、あの子。もう関わりたくないのっ」
「何が苦手よ。きちんとしたいい子じゃない」
「いい子だろうときちんとしてようと、俺は疲れるの。説教したり、
偉そうにするのは疲れるんだよ。もー勘弁し、いでっ!」

 ぽかっと頭を叩かれる。

「あの子のせいにするんじゃないわよ」
「何すんだこの暴力女っ」
「るさい。あんたが今まで好んで付き合って来たのはね、楽な女よ。
あんたはね、強い相手に押しかけられて、しょうがねえなあって引
っ張られるのに慣れちゃってるわけ。だから面倒なんでしょ。あん
たの怠慢を相手にせいにして、疲れるとか言いなさんな」
「だってーボクちゃん甘えんぼだ」
「いい年ぶっこいて甘えん坊キャラやめな。気持ち悪いっ」
「いでででで!」

 ぐいぐいぐいぐいと耳たぶを引っ張り上げられて、修平が悲鳴を
上げた。

「あんたが好みだと思い込んでたのはね、あんたが楽なだけのタイ
プ。相手にしたらたまったものじゃ無いのよ? あんたのお母さん
はもう沢山だって、一体何人があんたの元を去った事か」
「いでーっ離せよっ」
「適当主義も人任せも、そろそろ卒業しなさい。じゃないとお前な、
ジジイになって孤独死コースだぞ」

 晴美は耳を掴んだ手をぱっと離して、ふん! とやけに感情の篭
った息を吐き出した。

「あー、すっきりしたっ。……さ、行くか。あらん、いやあねえ、
飛行機の時間に遅れちゃうわ? ダーリンが待ってるわー」

 おほほほ、とわざとらしくお上品に微笑む晴美を睨んで、さっさ
と行きやがれと修平が不貞腐れた顔で。

「もう帰って来んな」
「あーら、いやあね。そう言われると喜んで嫌がらせに帰って来ち
ゃうわよーお?」

 痛くも痒くも無いわっと晴美は、手の甲を当てて高笑い。
それから腕時計に目を落として、慌てだして背中を向けた。

「全くよ、自分が上手く行ったからって人にも相手を押し付けるな
よ。勝手なやつだな」

 その後姿にぼそっと修平が悔しそうに呟く。
晴美が一瞬だけ、見えない所で笑みを消してそれから。

「あんたがうらやましそうにしてるからよ。あーん、寂しくて修平
かわいそー、むさくるしい男ばっかりになっちゃってかわいそー」

 と、憎まれ口を叩きながら、スーツケースの紐を屈んで拾った。

(そうねえ、勝手よね)

 罪滅ぼしみたいなものなのだろう、自身の罪悪感から来るお節介
なのだろうと、晴美は自分でも解っていた。

(香奈枝ちゃんには、悪いけど。彼女じゃなくてもいい)

 誰かこの自称少年の根無し草に、新しい関係を教えてくれないも
のだろうかと晴美は願っていた。
自分達みたいに、彼の素朴な本質を掻き回して駄目にしてしまうよ
うな、気性のこわい女では無くて。
もっとおっとりと、彼の本当のいい所や、責任感を引き出してあげ
られるような出会いがあるといい。

 自分が、今の彼に出会ったみたいに。

 まだ見ぬ誰かに、このダメ男をお願いねと、晴美は呟いた。





 私はコンビニでココアを一本、それからカイロを一個買った。
余りにも寒かったので急いで開封して、コートの内ポケットに貼り
付ける。

 それから自宅の近くの公園のベンチに座って私は、注意深く帰路
を運んだケーキの箱を開けた。
数ヶ月の間常連だったパティスリーの箱の中には、定番のチーズ
ケーキやショートケーキが二個ずつと、カードが一枚。

 かじかんだ手でそれを開く。
中には見慣れた筆跡で『これからも頑張ってネ!』と簡単なメッ
セージと、にこちゃんマークが添えられていた。

 今日、帰り際にケーキを渡されてびっくりした。
彼女には嫌われていると思っていたから。
ぽってりと小太りした子持ちのパートの女性。
勤務早々やられてから、数え切れないほど叱られてきた。
それこそ、電話の応対の仕方から、文具の仕舞い方までがみがみと
怒られて、私はその愚痴を園に垂れ流していたものだ。

 戸惑いが表情に出たのだろうか、彼女はにこにこと笑って、良く
なったじゃないのと私の背中を叩いた。

 最初は何も出来なさ過ぎて、認識も甘い私に厳しく当たったけれ
ど、この数ヶ月で見違えるほど沢山吸収したと。
良く帰りに買っているのを見かけたので、おうちの人と食べてね、
今日までお疲れ様、と彼女は労ってくれた。

(お局オバサンだなんて陰口叩いて、悪かったな……)

 確かに女性ならではのヒステリックな叱り方だった、それで逆恨
みしてしまったのだけれど。
それでも、手間隙かけて、たくさん仕事を教えてもらったのに。
自分って本当に、人に叱られても感情を消化出来ない子供なのだと、
改めて恥ずかしい心持ちがする。
後日、私も彼女に何か、買って持って行こうか。

 私はチーズケーキを汚さないようにナプキン越しに掴んで、ぱく
りとかぶりついた。

(おいしい)

 私はいつも、ケーキは近所の定番の店で買うのだと決めていた。
会社の帰り道に見かけたそこに入るのだって、とても勇気が要る行
動だった。
だって、買ってみて不味かったら悔しいだろうから。

 仕事だって、そうだ。
全く知らない人ばかりの職場に飛び込んでみようだなんて、数ヶ月
前までの自分なら、考えた事も無かった。
自分の果ては目で見えるそこに有ると思いこんで、不思議に思わな
かったのだ。

 閉鎖的、なのだ自分は。
決められた所でしか動こうとしないから、新しい世界が見えない。

 それを変えてくれたのは修平さんだ。
私の見た所の彼が、彼の全部だと決め付けていた私に、意外性とい
うものを教えてくれた。
私の背中を押してくれたのは、修平さんだ。

 行動しなかったら、わからない事は沢山ある。

(おいしいよね)

 公園で手づかみで食べるケーキがこんなに美味しいだなんて、叱
られて感謝するだなんて、経験してみるまでわからなかった。

「……よし!」

 私はナプキンで指先を拭って、携帯を取り出した。
携帯は捨ててしまったけれど、事務所の番号なら知っている。

 どうしたんだろう、私は、
あれ以来、衝動的な人間になりつつあるようだ。





「もしかして、私はまた、修平さんを困らせてますか」
「いんや? 別に困って……うーん、困っては無いけど」

 もそもそもそと、受話器の向こうで声が聞こえる。
理由は特に無いけどね、と修平さんは口ごもっているようだ。

「それだけのためにかけて来たの?」
「はい、そうです。知りたいんです、ちょっとした事でも、修平さ
んが知りたいです」

 がつんという音がして、いでーっと受話器の向こうで悲鳴が聞こ
えた。
てめえ邪魔だと怒っているのは、物に対してだろうか。
俺の豪華ディナーが伸びているとぼやいているのは、お約束のカッ
プラーメン……?

「香奈枝ちゃんは、間合いが測りづらい」

 しばらくして修平さんが戻って来て、そう評した。

「まごまごしてるのかと思いきや、突然攻撃してくるしさ」
「攻撃じゃないです、知りたいだけです。私の事も知って欲しいで
す。合う合わないなんて、それから決めて欲しいです。それまで、
私が言った事は忘れてくれていいです」

 受話器の向こうで、再び沈黙。
ぱきりと、乾いた木が割れるのに似た音がした。
きっと割り箸を二つにわける音。
事務所で侘しくカップラーメンをすする姿が彼には似合いすぎると、
私は暗くなった公園で一人、笑いを噛み殺した。

「だからそれはさ。香奈枝ちゃんが嫌だって言うから」
「……私が言ったからですか?」
「誤解すんなよ。普通に嫌だろ。面と向かってフケツって言われた
らオジサンだって寂しいんだよ」
「そこまで、言って無いですよー」

 今度は、笑みが満面に広がるのを抑えられなかった。
では、嫌われてはいないのだ。
恋愛感情を持たれて無いのはわかるけど、でも、私が嫌だと言った
から髭を生やさないその程度には、私は意識してもらっていると…
…うぬぼれてもいいのだろうか。

「突然雰囲気変わったりさー、突っ走って来たりさ。怖いねー青い
春と書いて青春って。オジサン間合いが測り辛くて困るわー」

 修平さんがぶつぶつ言う。
間合いの意味がわからないけれど、私で言うならテリトリーみたい
なものだろうか。
私は、彼のテリトリーを侵そうとしている異分子なのだろうか。

 それならば、お互いに侵入し合っているという事になる?

「好きです、修平さんが。最初は優しい人だから好きだと思ったけ
ど。多分髭を生やしてても、スロットおじさんでも。ここからはき
っと、好きになれると思います」

 もう言わないから忘れてくださいね、でも私を好きになってくれ
たら思い出してね、と最後に添える。
修平さんがぶぶっと噴く音。

(汚いなあー)

 人と電話しながらラーメンを食べないで欲しい。
しかも噴いたりしないで欲しい。

 私は渋い顔になってそれから。
思いがけない彼の誘いに、目を大きく見開いてから笑みを漏らす。
修平さんの側に居られるのだという喜びと、新しい仕事を見つけら
れたという安堵と、同時に満たされるとは思ってもみなかったから。

 きっと受話器の向こうの彼は、おどけた口調とは裏腹に。
私をどきりとさせる、時々垣間見せる、なんとも言えない癖のある
表情を浮かべているに違いない。

 修平さん特有の、眉をくしゃっとさせて、片頬を歪めた、魅力的
な顔。
私とは全く異質な世界を持っているのだと躊躇させる、大人の男の
人自身の、今までを呑み込んだカオスの顔。

 異質だからって、何。
私にとって異質なら、彼にとっても私は異質なのだ。

 もう立ち止まりかけてる彼を、絶対に追いかけて、捕まえたい。
振られるかもしれないけど、今はそう自分を奮い立たせようと私は
決めて。

 それからココアを一口飲んで、彼に答えを返そうと口を開いた。

 お馴染みのお洒落なカフェで、親しい友人と飲むコーヒーはいつ
も同じく美味しいけれど。

 美味しいココアも不味いココアも、どちらでも。

(修平さんになら、いいかな)

 修平さんになら。


(終)











↓ あとがきはこちら



















あとがき。
なんとぬるい人たちなのでしょうか、申し訳ないと思いつつ。
最終話は、書くのにかなり苦悩したので、自分としては気に入った
かもです(・・・人から見た出来は考えないようにしよう(汗)

短編アンケートでご要望くださった方、ありがとうございました。
読んで下さった方、お付き合いくださって待ってて下さった方、
ありがとうございました。



2006.12.16 hana拝

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